485316 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

EYASUKOの草取り日記

EYASUKOの草取り日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

EYASUKO

EYASUKO

Calendar

Favorite Blog

庭が秋になり始めま… New! pippi2003さん

ばってん☆日記 ばってん☆日記さん
ほにゃちん日和 MIRLINさん
ウエストエンドのぶ… マダム・オルガさん
・… kimi777311さん

Comments

Burnet@ お世話になりました EYASUKO さん 16年間のブログ生活でしたが…
Burnet@ Re:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) EYASUKO さんも哀しい思いをされていたの…
EYASUKO@ Re[1]:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) まりえ5182さん、暖かいお言葉をありがと…
まりえ5182@ Re:ありがとう!ゆきちゃん、そしてさようなら(09/15) 思わず涙ぐみました。ゆきちゃんの写真は…
EYASUKO@ Re[1]:祖国への愛に生きて:ムハ「スラヴ叙事詩」(05/15) pippi2003さん お久しぶりです。 アール…

Freepage List

Headline News

2008.12.18
XML
カテゴリ:絵画.・アート

1945年、日本の敗戦により、日本は連合国の占領下に置かれる。

Ocuppied Japanの始まりとともに、戦犯の追及が始まる

次第に大きくなっていく「戦争協力藝術家の一番の戦犯は藤田である」という声

1950年、追われるように藤田は日本を出国しフランスへ

フランスで、日本国籍を返上し、レオナール・フランシス・ルネというフランス人となる。

尊敬してやまないレオナルド・ダ・ヴィンチと聖フランチェスコ

あくまでも真摯に藝術に生きようというフジタに

ひとつの出遭いが待っていた。

個展に出品したバラの絵を

一人の紳士が求めたいと申し出る

この紳士こそ、ランすのシャンパーニュメーカーG.H.Mumm社のオーナー

ルネ・ラルー氏であった。

G.H.Mummコルドン・ルージュ

以後ラルー氏とフジタは親交を重ね

フジタがキリスト教に改宗し、ランスの大聖堂で先例を受ける際の

代父をラルー氏が努めるまでの間柄となる。

そして、1960年フジタは、その全精力を傾けて、

ラルー氏の全面的な資金提供のもと

ノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂の建設にまい進することとなる。

この礼拝堂は、古都ランスのG.H.Mumm社の敷地内にひっそりと建っている。

2001年の夏、主人とともに訪れた「シャペル・フジタ」

シャペル・フジタ

通りを隔てた向かいは、G.H.Mumm社の本社及びシャンパン・カーヴであった。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.12.18 17:23:01
コメント(6) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X