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EYASUKOの草取り日記

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2008.12.18
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カテゴリ:絵画.・アート

1945年、日本の敗戦により、日本は連合国の占領下に置かれる。

Ocuppied Japanの始まりとともに、戦犯の追及が始まる

次第に大きくなっていく「戦争協力藝術家の一番の戦犯は藤田である」という声

1950年、追われるように藤田は日本を出国しフランスへ

フランスで、日本国籍を返上し、レオナール・フランシス・ルネというフランス人となる。

尊敬してやまないレオナルド・ダ・ヴィンチと聖フランチェスコ

あくまでも真摯に藝術に生きようというフジタに

ひとつの出遭いが待っていた。

個展に出品したバラの絵を

一人の紳士が求めたいと申し出る

この紳士こそ、ランすのシャンパーニュメーカーG.H.Mumm社のオーナー

ルネ・ラルー氏であった。

G.H.Mummコルドン・ルージュ

以後ラルー氏とフジタは親交を重ね

フジタがキリスト教に改宗し、ランスの大聖堂で先例を受ける際の

代父をラルー氏が努めるまでの間柄となる。

そして、1960年フジタは、その全精力を傾けて、

ラルー氏の全面的な資金提供のもと

ノートルダム・ド・ラ・ペ(平和の聖母)礼拝堂の建設にまい進することとなる。

この礼拝堂は、古都ランスのG.H.Mumm社の敷地内にひっそりと建っている。

2001年の夏、主人とともに訪れた「シャペル・フジタ」

シャペル・フジタ

通りを隔てた向かいは、G.H.Mumm社の本社及びシャンパン・カーヴであった。






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Last updated  2008.12.18 17:23:01
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