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EYASUKOの草取り日記

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2009.01.09
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カテゴリ:陶磁器

Wedgewood社の経営破綻は衝撃だった。

1759年の創業以来250年続いてきた企業が

時代の荒波に呑み込まれたことになる。

そもそも、ヨーロッパの磁器産業は、中国の染付への憧れに始まった。

 東インド会社によりヨーロッパ社会に持ち込まれた染付は

同じ重さの銀と同等の価値があるとされ

王侯貴族が争って購入していた

その用途は、食器としてではなく、主にインテリアとして用いられた。

そのうちに、自国での製造をもくろむ王が現れた

ザクセン選帝侯フリードリヒ=アウグスト一世(強王)である

王は、錬金術師ベドガーに、中国磁器と同じものをこの世に生み出せ、と命ずる。

硬質磁器の材料となるカオリンの発見を経て

最初のマイセンである褐色しゃく(火へんに石)器が生み出された。

その後、幾多の試行錯誤を経て、これが白色磁器に発展していく

今に残るマイセンのパターン「ブルーオニオン」

たまねぎとしてあらわされたこの模様は、実は「ざくろ」である。

中国のオリジナルではざくろであった模様が、たまねぎに見えたのだという。

この成功に基づき、各国でも染付を模した陶磁器の開発が進む

たとえば、ロイヤル・コペンハーゲンの「ブルーフラワー」であり

オランダのロイヤル・デルフトは、陶器の表面を白い釉薬で覆い

それを磁器に見立てて上絵をコバルトで描いている

同様に、この磁器の風合いを醸し出そうとしたのが

骨灰を粘土に混ぜ込み、焼成するという手法であった。

いわゆるボーンチャイナの誕生である。

このボーンチャイナを製造した最大のメーカーがウェッジウッド社であった。

なんと壮大なロマンであったことか!

西洋陶磁を見るにつけ、このロマンを

海を越えていった幾多の染付の器や壷とともに思い出している。

その一角が、経営破綻ということで

先行きの不安を抱えているのは、なんとも痛ましいことである。

思い起こせば

わたしが最初に集めた陶磁器は、ウェッジウッドの「ワイルドストロベリー」だった。

 






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Last updated  2009.01.09 23:13:13
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