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カテゴリ:絵画.・アート
昭和47年5月、銀座吉井画廊に泥棒が入り 梅原龍三郎画伯の「北京秋天」ほか数点の絵画が盗まれた。 この吉井画廊こそ、清春藝術村の創始者吉井長三氏の経営する画廊であった。 盗難にあった絵画はいずれも個人コレクターの収蔵品で弁済しなければいけない 盗難の報を聞いた梅原画伯から吉井氏に連絡があり 自宅に伺った吉井氏に、画伯はこう話したという。 「きみは、盗難にあった上に、その弁済をしなければいけない さぁ、此処にある絵をいくらでも持っていくがいい。 各コレクターに、弁済代わりにこの絵の中から好きなものを選んでもらいたまえ」 吉井氏は恐縮しつつ絵を押し戴き 各コレクターを訪問し、代わりの絵をもって代品とした。 その仕事が終わり、残った絵を梅原画伯に返しに行ったところ 「絵が残ったのなら、その絵を売って、君の画廊再建の費用にしなさい。」 と、信じがたい言葉が画伯の口から出てきたという。 学生時代にルオーの絵に接し画商を志した吉井氏を 暖かく見守った画家のすばらしい交誼の証であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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