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カテゴリ:絵画.・アート
今日はパリ祭 1789年7月14日バスティーユ監獄を襲撃することからフランス革命は始まった。 「自由・平等・博愛」を理念に掲げたフランス共和制の始まりである。 翌1790年、共和国政府は革命1周年を記念して大掛かりな記念式典を行ない 革命の成立を内外に知らしめたのである。 このことに起因し、1880年にこの日が「国民の休日」と制定された (ちなみに、「巴里祭」が7月14日を表すというのは、日本だけのこと ルネ・クレール監督の映画「7月14日」の邦題が「巴里祭」と名づけられたことによる。) なぜ記念日の制定に90年もの歳月がを経たのか 私見であるが、1789年のバスティーユ襲撃以来 フランス国内は混乱を極め 恐怖政治のあとの共和国政府の腐敗 列強各国のフランス包囲網と革命を潰そうとする圧力及び戦争 (何しろ、当時の国権はまだ絶対王政 フランスの革命--共和制への移行を認めることは 自らの地位を危うくすると、各国の王や皇帝はやっきとなったわけである) その中からのナポレオンの台頭と第一次帝政 その後の王政復古(ルイ16世の弟のルイ18世とその息子シャルル10世)を経て 1848年の革命による第二共和制へ移行したが ほどなくナポレオン3世による帝政が復活するも、普仏戦争により凋落、1870年退位し 第三共和制となるが 1870年、パリはプロシア軍により包囲され 共和国は莫大な賠償と領土の割譲を余儀なくされる 共和国の性格をめぐり、社会主義的なパリ・コミューンと政府側の対立・内戦を経て なんとか社会が安定したのが1880年という年であったのである。 第三共和制は政治的に不安定で不人気だったそうであるが このナポレオン3世から第三共和制の時代こそが パリの近代化が進んだ時期であった ナポレオン3世により知事に任命されたジョルジュ・オスマンは旧市街の大半を解体し 広く直線的な大通りや放射状に広がる大通りのネットワークに置き換え 公園や公共の建築物を整備し パリを近代的な構造を持つ都市へと発展させた。 マネの生きた時代は、まさにこの時代に当たるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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