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EYASUKOの草取り日記

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2010.07.14
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カテゴリ:絵画.・アート

今日はパリ祭

1789年7月14日バスティーユ監獄を襲撃することからフランス革命は始まった。

「自由・平等・博愛」を理念に掲げたフランス共和制の始まりである。

翌1790年、共和国政府は革命1周年を記念して大掛かりな記念式典を行ない

革命の成立を内外に知らしめたのである。

このことに起因し、1880年にこの日が「国民の休日」と制定された

(ちなみに、「巴里祭」が7月14日を表すというのは、日本だけのこと

ルネ・クレール監督の映画「7月14日」の邦題が「巴里祭」と名づけられたことによる。)

なぜ記念日の制定に90年もの歳月がを経たのか

私見であるが、1789年のバスティーユ襲撃以来

フランス国内は混乱を極め

恐怖政治のあとの共和国政府の腐敗

列強各国のフランス包囲網と革命を潰そうとする圧力及び戦争

(何しろ、当時の国権はまだ絶対王政

フランスの革命--共和制への移行を認めることは

自らの地位を危うくすると、各国の王や皇帝はやっきとなったわけである)

その中からのナポレオンの台頭と第一次帝政

その後の王政復古(ルイ16世の弟のルイ18世とその息子シャルル10世)を経て

1848年の革命による第二共和制へ移行したが

ほどなくナポレオン3世による帝政が復活するも、普仏戦争により凋落、1870年退位し

第三共和制となるが

1870年、パリはプロシア軍により包囲され

共和国は莫大な賠償と領土の割譲を余儀なくされる

共和国の性格をめぐり、社会主義的なパリ・コミューンと政府側の対立・内戦を経て

なんとか社会が安定したのが1880年という年であったのである。

第三共和制は政治的に不安定で不人気だったそうであるが

このナポレオン3世から第三共和制の時代こそが

パリの近代化が進んだ時期であった

ナポレオン3世により知事に任命されたジョルジュ・オスマンは旧市街の大半を解体し

広く直線的な大通りや放射状に広がる大通りのネットワークに置き換え

公園や公共の建築物を整備し

パリを近代的な構造を持つ都市へと発展させた。

マネの生きた時代は、まさにこの時代に当たるのである。






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Last updated  2010.07.15 08:46:01
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