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カテゴリ:絵画.・アート
今日から新宿の損保ジャパン東郷青児美術館でセガンチーニ展が始まった。 ラッキーなことに、わたしは一足お先に静岡展を見ている アルプスに住み、アルプスの風景を描いたイタリア人画家ジョバンニ・セガンチーニ その筆致は草の一本一本を書きつくそうとするかのような筆致で 物質の組成の一つ一つを描ききろうとするかのような細かい筆致である。 これを「分割技法」と名づけるのだそうだが そんな単純な技巧に限定されるものではなく もっとこの世界の構成要素の一つ一つを書きとどめようという 情熱の賜物としての絵画手法ではないかと 「分割法」という言葉に違和感を覚えながらの展覧会であった。 セガンチーニはアルプスの風景に魅せられ その山々の風物や光、素朴に生きる人々などを生涯の主題とし 自身も絵を追求するため次第にアルプスの高地を求めて移り住み 最後には標高2700m余の山荘にこもって絵の仕上げをしていたところ 急性の腹痛症に襲われ、子供が医者を呼びに行くが、間に合わず 腹膜炎をおこし手遅れとなって41歳の若さでこの世を去ってしまう。 末期の言葉は「わたしの山が見たい」という言葉だったそうである。 彼の作品の多くはスイス、サンモリッツにあるセガンチーニ美術館に収蔵されており 今回の展覧会もその展示品の多くはこの美術館のものである。 彼の最大の作品は遺作である三部作であるが この山のタッチで思い出すのは 由布院の画家東勝吉さんの「山」であった。 東さんは長らく山で木を切る仕事をし、老いて入った特養で絵を描くことを覚え 90歳から絵を描き始めた方である しかし、その山の姿は、実際に山というものに向き合った人のみが描きうる いきいきした質感にあふれたもので その質感の捕らえ方が、このセガンチーニの山にそっくりなのである。 お互いに山をよく知り尽くしたこのお二人が、もし会うことがあったなら どんな風にお話が弾んだろうか、と、不埒なことを考える私だった。 セガンチーニが臨終に際して思った山は、現実のアルプスであると同時に おそらく彼の心に存在する山であり それゆえに、彼の描いた山は時代を越えて我々の心を打つのであろう。 それは、東さんの山についても同じことが言えるのではないだろうか。
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Last updated
2011.11.24 00:52:22
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