ウン十年前の記憶 ~5/7の日記~
ここ数日、昔、母校が甲子園に出た時の試合動画が、TwitterのTLに流れてきていて。久々に家に一人になった今日、準々決勝を最初から最後まで、見てみた。相手チームには、その後プロで大活躍した選手がいっぱい。そんな試合を、現地で見たんだなぁ…と昔に思いを馳せる。…いやちょっとまて。甲子園での4試合のうち、私が現地観戦したのは、2試合だったはず。初戦は確実にテレビで見ている。3回戦は、試合前に、準々決勝の組み合わせ抽選を見て、勝った方が、その年の優勝校と対戦することが決まり、でも、その試合の相手ピッチャーの前評判がものすごく高かったので、「どうせ対戦するのは相手チームだしね」なんて、誰かと話したのをしっかり記憶しているから、絶対に現地観戦してる。ということは、2回戦、3回戦、を見に行ったのか。それとも、3回戦、準々決勝、を見に行ったのか。記憶のあやふや具合がなんとも気持ち悪く、高校時代の同期の仲間内のグループLINEで、記憶をたどってもらった。学校からデラックスバス(後部座席がシャンデリア付きのボックスシート)で往復した。これは2回戦の時らしい。記憶にある。3回戦の後、新幹線で3人ぐらいで帰ってきた記憶もある。3回戦の翌日が準々決勝という日程になり、急遽宿泊が決定、京都観光もした、というのだけれど、泊まった記憶がない。もちろん京都観光も。みんなの話を総合すると、私は、2,3回戦を現地観戦していたことに。準々決勝の相手が有名選手ばかりで印象に残っていたから、なんとなく現地で見た気になっていたらしい私。(^^;)応援席は、バトン部が遠目に映り、野球部の控えの子たちが中心で、吹奏楽部には、一切カメラが向けられることはなかった。今の「一人一曲」スタイルではなく、校歌含めて5,6曲のみの演奏。母校オリジナルのチャンステーマは、先輩の手書きの楽譜に忠実な演奏。応援の声は、女子 < 男子。(←私好み)「〇〇倒せー!」が許されている。今はグラウンド整備の間に、当時は5回攻撃時に演奏していた「〇高節」は、今のように、笑いをとることはなく、バンカラな雰囲気で。すべてが懐かしい。