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南カリフォルニアの青い空

南カリフォルニアの青い空


2024.05.02
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カテゴリ:カリフォルニア


 大正生まれの母はスポーツが得意で娘時代はバレーボール、スキー、テニス、スケート等も上手だったらしく走るのもクラスで一番速かったと言っていた。母が145歳の頃、蔵王で父親(私の祖父)とスキーをしている大きな写真があった。スキーウェアなどという洒落た服など無い時代、今の言葉でいえば二人共ダサイ恰好で竹のスキーで滑っていた。

戦後は生きるのに精いっぱいであったからスキーとかテニスどころではなかった。幸い水泳は体一つで出来るので、母は疎開先の海で夏の間、暇さえあれば泳いでいた。じつに美しいフォームでクロールをする母の真っ白い肌が海の色に映えて娘の私が言うのもへんだが、ビデオ・カメラがあったら保存しておきたかったと今でも思う。その母から私は泳ぎをおそわった。

 母の教え方はスパルタ式で、足が届かないところでポーンと私を投げ込み、後ずさりをし私が死にもの狂いで手足をバタバタさせて、手が届きそうになると50センチ位後ずさりするのを続け、泣き叫んでも救い出してくれなかったが、やっと足が底に届いたときは抱きしめてキスをしてくれた。少し泳げるようになった頃、母は「肩につかまりなさい」と言って私を背中に乗せ100メートルも200メートルも泳ぎ、その内に私は母につかまらないでも一緒に泳げるようになった。

 海の真ん前の家だったから、暖かい季節になると朝凪を楽しみ、お昼は家の二階のドアをあけて、「ごはんよ~」と母が叫ぶのですっ飛んで帰り、縁側で食べてまた海辺に戻り、夕暮れまで遊ぶという繰り返しだった為、肌はこげ茶色になった。海軍士官だった父からは海流や潮の満ち引き、離岸流、暖流寒流、荒波から抜け出すコツなどを教えてもらったので波をみる目もあった。

 東京に戻って中学校に通いだした時、隣に古橋雷太という生徒が座り、真面目でニコリともせず近づきがたかったが質問した時に静岡訛りだったので、「静岡県出身?」と聞くと頷いた。「私も興津で育ったから静岡弁できるよ」と言ったとたんにニコリとして仲良くなった。東京で地方の子はのけ者になる時代だったので彼も嬉しそうだった。「古橋ってさぁ、オリンピックで金メダルとった水泳の選手と同じ苗字じゃん。古橋廣之進つう人」というと、「兄貴だよ」と答えたので驚いた。「へぇ!私もオリンピックの水泳選手になりたかったけど、東京に戻ったから泳げなくなった」というと、「プールに行きゃ~いいじゃん」「そんなお金ないよ」とかいう会話を覚えている。

 東京オリンピック近くに日本もやっと活気がでてきて、私も数回ホテルや神宮外苑のプールに行った事があるが、貧乏だったので払った分だけ泳がにゃ損だ、というさもしさで一旦泳ぎだしたら一時間でも休まずに泳いだから水から出るといつも大勢の人が「どんなやつだ?」と見ていた。女の子は殆ど泳がなかった時代である。その中に先日お亡くなりになった小澤征爾氏がいて手を叩いて下さった。荒海で鍛えられていたからプールで何往復しても平気であった。高校でも水泳部にはいったが、飛び込み専門だったのでやめた。

 そういう私がアメリカ人と結婚してハワイに住むことになり一年中泳げた事は夢のようであった。時間さえあれば泳いでいたから、肌黒さが体に染みついてしまった。前夫はカリフォルニア出身でライフガードをやっていたので泳ぎは速かったが、遠泳では私に勝てなかった。どこでも泳ぎたくなる私はいつも水着をもって旅をするが、タヒチ、キューバ、メキシコ、ドーバー海峡、黒海(ウクライナ側)、アドリア海、マルタ、スペインでも泳ぐチャンスがあった。

 再婚した夫は年下の絵描きであった。ニューポートビーチで育ちサーフィングは少ししたらしい。一緒になって日が浅かった頃メキシコのプエルト・バイヤルタに行き、昔『イグアナの夜』という映画のロケをしたミスマロヤ・ビーチで泳ぐ事になった。透き通るような海水で100メートルくらい先に浮きがあって、彼が「あそこまで競泳しよう」と言い「用意ドン!」で泳ぎ出した。私は一目散に泳ぎゴールについて振り向くと彼は30メートルあたりでギブアップしていたので「どうしたの?」と聞いたら、「僕は泳ぐより潜る方がうまいんだ」と言った。まさか日本人の年上女に負けるとは思わなかったらしい。

 突然海パンを脱ぎ5メートル先に投げた彼、潜ってはいて出て来て「ね?上手いだろう?」と言い又投げては浮かんできた。「あのねえ、海流があるから探せなくなったら困るよ」と私が注意すると「こんなに動きの無い所は大丈夫だ」と言ってもっと遠くに投げた。暫くすると、きまり悪そうな顔で浮かんできて「海パンみつからない。悪いけど岸からタオル持ってきてくれ」と言うではないか。吹き出しそうになるのを必死にこらえて浜辺まで行き、ちょっと悪戯っけをだした私はタヒチで買ったピンクのパレオを彼に渡した。「タオルって言ったじゃないか」「大きなタオルは水を吸って重くなるから駄目」という私を睨みながら、彼は体にピタッと吸い付いて透き通るようなパレオを腰に巻き超スピードで浜辺のタオルに座り二度と競泳しようと言わなくなった。()

 

                                 

 

 

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最終更新日  2024.05.02 14:12:05
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