テーマ:今日のお出かけ ~(8129)
カテゴリ:観光日記(道の駅編)
さて不定期が続いております、実は2月に入り自宅で眠ったのはわずか5回、
後はずっと出っ放しでしてね、日記のネタがないわけでもないのですが日記にしている時間がなくて・・・ 今日の日記は後で日記にしようと思いつつ放置されていたネタです。 何度か登場している場所ですが道の駅「天領の里」です。 ここに2人の有名な人物の銅像があります、 一人目は・・・ 幼き日の良寛さんです、 良寛さんは曹洞宗のお坊さんで俗名を山本栄蔵といい、ここ出雲崎の出身です、出家して岡山の円通寺の国仙和尚に師事し、諸国を廻り48歳の時故郷である越後に戻りました、無欲な性格で生涯寺は持たず、粗末な草庵でその大半を過ごしております、燕市の国上山国上寺には良寛が48歳から61歳までの間を過ごした小さな庵があります、 書家としても有名ですが高名な人物からの書の依頼は断る傾向にあったようです、逆に子供たちに凧に字を書いてくれとせがまれ、喜んで「天上台風」と見事な書を書いていたようです、 その書は自由闊達、変幻自在、彼の性格に似て何物にも縛られぬ自由奔放な見事な書であったようです、良寛の書を見たことがないわけではないのですがね、書に詳しくない私が見ても分かりませんな・・・(笑) 戒律の厳しい禅宗の僧でありながら般若湯(酒)を好み良寛を慕う村人たちと頻繁に杯を交わしたそうです、 何かに縛られた心は御仏の心からは遠く離れたもの、「子供の純真な心こそが真の御仏の心」と解釈し子供たちと遊ぶことを好んだちょっと変わったお坊さんであったようです。 今日生家跡には「良寛堂」が建っておりその裏手には良寛さんの坐像があります、その視線の先には日本海が広がっていて沖に見えるは良寛の母のふるさと佐渡島・・・ 天気が良ければここからも佐渡の島影がよく見えますよ、 さて2人目は・・・ 松尾芭蕉・・・ 説明はいりませんね「奥の細道」の著者です、 この中の「あらうみや さどによこたう あまのがは」この詩を読んだのがここ出雲崎と言われております(直江津という説もあり) 古くから佐渡への渡航地として有名な出雲崎、その昔は佐渡の金山で採れた金を江戸に運ぶための御朱印船が着く港、北国街道の要衝の一つでありますね。 日本海の荒波のむこうに浮かぶ佐渡島、その上空には天の川が大きく横たわっている、 さてさて皆様は佐渡というと何を思い浮かべますでしょうかね、 「金山?」「島流し?」・・・ 佐渡は流刑地としても有名な地、奥の細道の草案「銀河の序」のなかにこのような一文がのこっております、 「げにやこの島は黄金あまたわき出て、世にめでたき島なむ侍るを、昔今に至りて、大罪朝敵の人々遠流(おんる)の境にして、物憂き島の名に立ち侍れば、すさまじき心地せらるる…」 朝敵とみなされたあまたの命が佐渡の荒海の中、空に輝く星々へと変わっていった地 あらうみや さどによこたう あまのがは 日本海の荒海と天の川に煌めく星々・・・ 過去の栄華もいつかは廃れ、命あるものはいつかは死ぬさだめ、それが人の世というもの・・・ 今日は天領「出雲崎」のお話・・・ さて前回の日記の「かんだやぶそば」 心配された「かえし」は都度作るもので再建後も同じ味を出すことができると4代目店主堀田さんが話されております、 「伝統が味を作るのではなく技術が味を作る」のだそうです、 受け継がれた確かな技術こそが伝統そのもの、再建に期待いたしましょう、 貴重な文化財としての建物は失われても、江戸の貴重な食文化である「味」が残れば、文化は後世へと伝えられていきます、 形あるものがいつかは壊れるのは世のさだめ、悲しくも仕方のないことなのかもしれませんね。 多くの名店を輩出した藪の大暖簾、これからも大切に守っていってほしいものですね、 伝統の味とともに・・・ 出張から帰ると光君がまた盗み食い・・・ 雪で外に出れ無くて退屈なのもあるのでしょうが、 最近ちょっといたずらが過ぎる光君です・・・ こまったものだ・・・ ではまた・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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