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カテゴリ:思い出(社会人・海外)
ベトナム人は機械修理がとても上手である。家庭用の機械関係は業者が来るとあっという間に修理が完了する。日本だと部品がないとか、取り寄せに時間がかかるといわれてしまうので、業者が来たその日に直るということはほとんどない。 ベトナムでは新品への買い替えや部品のユニット交換よりも、壊れたところだけ部品を交換したり修理をするという文化やシステムがある。昔は日本にも当たり前にあったのだが、日本国内でのモノづくりがなくなってしまったこと、修理価格と新品価格の値段差がなくなってしまったこと、電子化かが進んでメカよりも基盤が壊れることが多く修理ができないなどの理由からものを修理して使うという文化が衰退してしまった。
ベトナムの修理して使う文化のおかげで会社としても個人としてもとても助かっている。スーツケースが壊れた時もベトナムならほんの数百円ですぐ直してくれる。エアコンの修理などもあっという間である。ベトナムの修理文化に接すると、どうして日本はこの文化を残せなかったのかと、とても残念に思うことが多々ある。
ただしベトナムの修理文化もよいことばかりではない。彼らは構造は理解して修理をしてくれるのだが、安全とか耐久性とか精度という部分が日本人に比べるとかなり劣っている。つまり、修理した部分がすぐに壊れるとか、修理をしたら性能が落ちたなど日常茶飯事である。 修理で交換する部品も適当なので、流れる電流に耐えられない電線を使用して燃えてしまったりと安全性を無視されたために怖い事故になることもある。 モーターの電線が焼き切れた時も電線のまき直しまでやってくれるのだが、均一性がないのできれいに回らないモーターになって戻ってくる。
そもそもベトナムに限らずアジア全般で経験していることだが、安全性、耐久性、精度というのを気にするレベルが日本人とはかなり異なる。消費者というか使用する側も日本人ほどこだわっていない。実際にお父さんの考えは、日本人もそれほどこだわっているわけではなく、安全で長持ちで高精度が当たり前の中で生きてきたというだけだと思っている。 そういう意味でアジアは、危険で短命で精度が悪いものに慣れているとお父さんは思っている。
製造や販売をしている人たちも、販売の瞬間まで、もしくは使用開始の最初だけ問題が出なければよいという考え方を基本として持っている。つまり日本人は壊れないのが当たり前の製品を頑張って作り、消費者も壊れないのが当たり前と思って購入し使用する。 アジアでは、売れればよいので初期品質だけを考えてものを作り、消費者も壊れるのは腹が立つがそういうものだと思って購入し使用している。
日本の製造業が海外で苦戦するのは、このアジアの感覚に合わせることができないからだ。そのために韓国や中国の見栄え文化(見た目だけかっこいいのだが、中身はダメ)の製品に負けてしまう。 勝負ができるのは車などの価格が高い製品だけである。実際に韓国を含めてアジアの車は購入して1年もするとあちこちおかしくなる。エンジンパワーは低くなり、サスペンションはダメになり、シートの状態も悪化する。購入時は日本車と大きな差を感じなくても、数年もするとその違いは歴然としたものになる。
構造を理解し、製造や修理はできるのだが、安全性、耐久性、精度というモノづくりに日本人が欠かさない要素を軽視している限り、日本人が満足するアジアメーカーの製品は日本人に売れないだろうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.11.05 00:10:10
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