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カテゴリ:離婚
手術が終わり、夜遅く元夫が帰宅した。帰るなり手術は成功で、原発巣は切除されたと言う。
はっきりした転移はなかったが、少し怪しいところがあったので、病理の結果が出るまでは分からないなどと、まるで昼間怒鳴りつけたことも、私が公衆の面前で泣き出したことも、忘れたように話すのだ。 私が「自分が同じ立場だったら、やはりイライラしたかもしれない。ごめんなさい」と謝るのを聞いていたのか聞いていなかったのかも分からない。 離婚についての話し合いの場で、「義父の手術の日の出来事」と言っても元夫は暫く何のことか分からず、私が詳しく話してようやく思い出したくらいだから、私に怒鳴ったことについて、自分が悪かったとも、私の方が折れたとも、何も感じなかったようだ。 結局怪しいところは転移ではなく、その後再発して亡くなるまで、義父は5年以上生き延びることが出来た。 この種類のガンでは、20%のほうに入った、幸運なほうの一握りである。 この義父が、その後もまた何かと私を苦しめることになる。 数年後、元夫の祖母所有の土地に、家を建てる話が持ち上がる。 この時元夫と私が揃って気に入ったハウスメーカーは、義父が役員をしている有名企業の系列ハウスメーカーではなかった。 義父は、「ハウスメーカーなんて何処でも同じなのに、どうして自分のところの系列で建てない?」と不満をぶつけてきた。 私に直接ということは少なかったが、元夫に対してはかなり強硬に主張したらしい。 後々もその家の前には、その有名企業グループの会長が車を路上駐車して床屋に行くくらいだったから、義父としては、他で建てられるのは困るということがあっただろう。 そのあたりを私は電話で義母から聞かされた。 「お義父さまが、大変困っておられるので、じゅびあさんも、よく話し合って欲しい」と。 資金の一部は私も出す予定だったから、私だって気に入ったハウスメーカーで、建てたかった。 だが、元々義父の母親の土地。仕方なくその日帰宅した元夫に言った。 「お義父さまが、どうしてもとおっしゃるのなら、私はそれでもいいよ。」 その途端、元夫の形相が変わり、私に掴みかかってきた。 「僕がこんなに苦労しているのに、どうしてオマエがそんなことを言うんだぁ!もう、家なんて建てない。止めた止めた!」 この時も、髪の毛を掴まれて、引きずられている。 要するに、元夫は、自分が義父の意向に沿いたくなかった。 だから、私が自分の味方をしなくなったと腹を立て、突然暴力に出たのだが、私はなぜ彼がそんなに急に爆発したのか理解できなかった。 私が義母に頼まれてそう言ったと知ると、彼は「じゅびあ、ごめんね、ごめんね」と謝り始めた。 それでも最終的に夫が自分の希望を通し、建築計画がスタートする。 このマイホーム建築で、私は資金の1/4を負担し、共有名義で所有することになるのだが、このことも、後々最大の争点となってしまう。 そして、この計画を進めている最中に、夫は家も建てるのだし、もう子どもを作ってもいい頃だろう、と強く主張、その計画通り、マイホームができる数ヶ月前、私は妊娠する。 妊娠したのを機に、籍も入れ、いよいよ私は後戻りも出来なくなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月28日 11時50分34秒
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