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じゅびあの徒然日記

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2006年11月28日
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カテゴリ:離婚
手術が終わり、夜遅く元夫が帰宅した。帰るなり手術は成功で、原発巣は切除されたと言う。
はっきりした転移はなかったが、少し怪しいところがあったので、病理の結果が出るまでは分からないなどと、まるで昼間怒鳴りつけたことも、私が公衆の面前で泣き出したことも、忘れたように話すのだ。
私が「自分が同じ立場だったら、やはりイライラしたかもしれない。ごめんなさい」と謝るのを聞いていたのか聞いていなかったのかも分からない。
離婚についての話し合いの場で、「義父の手術の日の出来事」と言っても元夫は暫く何のことか分からず、私が詳しく話してようやく思い出したくらいだから、私に怒鳴ったことについて、自分が悪かったとも、私の方が折れたとも、何も感じなかったようだ。
結局怪しいところは転移ではなく、その後再発して亡くなるまで、義父は5年以上生き延びることが出来た。
この種類のガンでは、20%のほうに入った、幸運なほうの一握りである。
この義父が、その後もまた何かと私を苦しめることになる。

数年後、元夫の祖母所有の土地に、家を建てる話が持ち上がる。
この時元夫と私が揃って気に入ったハウスメーカーは、義父が役員をしている有名企業の系列ハウスメーカーではなかった。
義父は、「ハウスメーカーなんて何処でも同じなのに、どうして自分のところの系列で建てない?」と不満をぶつけてきた。
私に直接ということは少なかったが、元夫に対してはかなり強硬に主張したらしい。
後々もその家の前には、その有名企業グループの会長が車を路上駐車して床屋に行くくらいだったから、義父としては、他で建てられるのは困るということがあっただろう。
そのあたりを私は電話で義母から聞かされた。
「お義父さまが、大変困っておられるので、じゅびあさんも、よく話し合って欲しい」と。
資金の一部は私も出す予定だったから、私だって気に入ったハウスメーカーで、建てたかった。
だが、元々義父の母親の土地。仕方なくその日帰宅した元夫に言った。
「お義父さまが、どうしてもとおっしゃるのなら、私はそれでもいいよ。」
その途端、元夫の形相が変わり、私に掴みかかってきた。
「僕がこんなに苦労しているのに、どうしてオマエがそんなことを言うんだぁ!もう、家なんて建てない。止めた止めた!」
この時も、髪の毛を掴まれて、引きずられている。

要するに、元夫は、自分が義父の意向に沿いたくなかった。
だから、私が自分の味方をしなくなったと腹を立て、突然暴力に出たのだが、私はなぜ彼がそんなに急に爆発したのか理解できなかった。
私が義母に頼まれてそう言ったと知ると、彼は「じゅびあ、ごめんね、ごめんね」と謝り始めた。
それでも最終的に夫が自分の希望を通し、建築計画がスタートする。
このマイホーム建築で、私は資金の1/4を負担し、共有名義で所有することになるのだが、このことも、後々最大の争点となってしまう。
そして、この計画を進めている最中に、夫は家も建てるのだし、もう子どもを作ってもいい頃だろう、と強く主張、その計画通り、マイホームができる数ヶ月前、私は妊娠する。
妊娠したのを機に、籍も入れ、いよいよ私は後戻りも出来なくなった。





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最終更新日  2006年11月28日 11時50分34秒
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