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じゅびあの徒然日記

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2007年05月03日
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カテゴリ:カラダの病気
手術の翌朝、主治医の説明を聞いた。
私は虫垂炎ではなく、右の卵巣に血腫ができて破裂していたということだった。
開腹したときには、腹部に750ccもの血液が溜まっていたという。

はっきり言って、誤診だったということ。
結果として助かったからよかったようなものの、抗生剤の点滴を入れてのんびり何時間も手術の順番待ちをしていていい状態ではなかったのだ。
立位でレントゲンを撮る時に意識を失って倒れたのは、出血性のショックによるもの。
手術を待つ間に、死んでいても不思議はなかった。

手術中に他の医師を呼んでいるのが分かったが、婦人科の医師を呼んだのだった。
腹腔鏡を使って左側の卵巣が無傷なのを確認してから、右の卵巣を全切除したという。

年齢的に若いこともあり、輸血はしなかったと言うが、その後暫くはひどい貧血に悩まされた。
術後のヘモグロビン(女性でも11~13くらいが正常)は7台にまで下がっていたから、廊下を歩くだけで何度も目の前が暗くなる。
慢性的な貧血で、凄いデータなのにぴんしゃんしている患者さんをよく診るが、急性の失血による貧血というのは身体が慣れていないから、もうフラフラだ。
この手術より前は、よく献血に協力していたが、以後私が献血をしたことはない。
というより、献血センターに行ってもヘモグロビン不足で献血を断られてしまうのだ。
特別食事に変化があったわけでもないのに、不思議と献血できる値に届かなくなってしまった。

それと、20歳で片方とはいえ卵巣を取ったというのもショックだった。
医学部の学生だから、片方の卵巣を切除しても女性としての機能が失われないのは、分かっていた。
それだけに、声に出してショックだと言うことが出来なくて、看護師の目を盗んでは何夜かこっそり泣いた。
特に原因もなく、予防したり注意したりする方法も無いのに、卵巣に血腫ができて突然破裂してしまう、ということは、もう片方残された卵巣だって、いつそうなるか分からない、と思った。
不安を解消するためには、学生だろうと何だろうと早く結婚して、子どもを産んでしまうしかない、と考えた。
この後10年ほどに渡り、私は強い結婚願望、出産願望を持ち続けることになる。

一方で矛盾するけれど、性行為そのものに対しても、著しい恐怖感をもつようになる。
全く医学的な根拠はないけれど、そういった行為が何らかのきっかけとなって、もう片方の卵巣も病気になってしまうのではないか、という不安を拭い去れないのだ。
私にとって性行為というのは、愛情の確認とか、コミュニケーションではなくて、子どもを作るための手段にすぎなくなってしまった。
相手が愛情表現として求めてきても、こっちは子どもを作るためだったらしてもいい、としか考えないんだから、相手はみんな引くわね(笑)。

私を置いてきぼりにした彼は、私の入院と手術を知って見舞いに現れ随分謝罪をしてくれた。
この彼とも一刻も早い結婚を考えなかったわけではなかったけれど、当然その時には拒否された(学生なのだから、向こうとしてみれば当たり前である)。
卒業して何年か経ってもお付き合いは細々と続いていて、彼のほうが結婚を言い出してくれたけれど、正直その時には私の気持ちは他へ向いていた。
私の中のどこかに、「急病で苦しんでいる時に、自分の気持ちばかり優先して置いてきぼりにして去っていった彼」「私が本当に結婚して安心したいと思っていた時に、学生なんだから無理、と常識的な回答しかくれなかった彼」という思いがあった。
この先も、彼が私の苦しみを理解することはないだろう、と思ってしまったんだね。

幸い、卵巣が片方でも、子どもを産むことは出来た。
それも、自然妊娠で、二卵性の双子。
残った左の卵巣が、切除された右の分も頑張ったんだろう。
子どもをもたない夫婦や、子どもを生涯もたない女性を、否定するわけではないから、誤解しないで欲しい。
人間の生き方はいろいろ、幸せの形もいろいろ。
私にないもの、私から見たら羨ましいものを持っている人も世の中に沢山いる。
で、あくまで、私の場合。
離婚したけれど、子どもを産んでおくことができたのは、それだけでまず、よかった。
もちろんそのために産んだのではないけれど、もし子どもがいなかったら、今でも私は20年前の不安を引きずり続けただろうと思う。
「卵巣の寿命」ってことにずっとこだわり続けたと思う。

余談だけれど、卵巣の皮質(外側の部分)が残っていれば、そこから採卵して人工受精に持ち込むこともできる。
ポリクリ(臨床実習)でその話を聞いた時、「どうして外側の一部だけでも残してくれなかったのかしら」と思った。
同時に、片側摘出してももちろんもう片側で機能は維持されるが、やはり不妊の原因にはなりうるのだという話も聞かされてしまって、また落ちこんだ。
ところがのちに双子を帝王切開で産んだ時、別れた夫が立ち会い「あれ?右の卵巣外側が少し残してあるよ」と産婦人科医師が言ったのを聞いたそうだ。
そういうことは、ちゃんと本人にインフォームドコンセントしておいてくれなきゃ、意味ないのだ。





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最終更新日  2007年05月03日 20時27分42秒
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