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カテゴリ:旅行
連休を利用して、また昼神温泉の常宿?で骨休み。
夏の名残のセミ、秋の気配を感じさせる空気。 お料理には松茸も並んだ。 今回、ご紹介するのは、「栗矢の無礼講」。 昼神温泉から10分ほどマイクロバスに揺られた先、昔のままの面影を残す(と思われる)栗矢八幡社で、それは行われた。 無礼講、という言葉の意味をご存知だろうか。 会社で飲みに出かけた席で、上司が部下に向かい、「今日は立場に関係なく楽しもう」という意味で使う言葉。 時として「無礼講」が形式だけの言葉で、後で大変なことになることもある...。 しかし、元々の意味は、神様と同じ食べ物、飲み物を口にすることを指すのだそうだ。 神様を呼んで、一緒にお囃子や踊りで「神遊び」をし、神様に捧げてあったお神酒やご神餅を頂く、地域の人々に古来からあったお楽しみ行事。 私たちが訪れた夜は、あいにくの雨。 だが、この「栗矢の無礼講」は、「雨の日のほうが当たり」なのだそうだ。 通常お天気の日の無礼講は、神社の境内で行われる。 だが、雨の日は、通常地元の人しか入ることを許されない、「回り舞台」が開放され、間近で舞や太鼓を楽しむことが出来るのだ。 雨が当たり、と言っても旅館の浴衣と下駄で出かけたから、暗闇の石段、木の根っこで一苦労。 石段も積まれた昔のまま、現在のようにコンクリートを固めたようなものではないから、とんでもなく段差が大きくて踏み代の狭いところがあり、下駄では滑りやすい上、足がうまくかからない。 古木の根が張りあちこちで顔を出しているので、間に泥水が溜まり、下駄のつま先が何度も引っかかった。 しかも境内の近くまで行かないとほとんど電灯もない。 バスを降りてから、子どもの手を引き、傘を差して、見慣れぬ道を歩くことといったら! 何度か、部屋でゴロゴロしていたほうがよかったかな、という考えがよぎった。 ほうほうの体で境内横の明かりが漏れた入り口にたどり着く。 会場には地元の氏子さんたちも集まっておられるのだが、前のほうの観やすい席を私たち観光客のために空けておいてくださっている。 さて、この回り舞台、なんと安政5年に建てられたもの。 床には円形の切れ目が入り、高い天井には年季の入った太い梁、舞台の裏方さんたちが活躍したであろう張り出し、そしてこの舞台を動かす装置であろう滑車などが目に飛び込んでくる。 回り舞台、と言われるものは全国に20ヶ所残されているそうだが、実際に今でも回るものは3ヶ所、残念ながら栗矢の舞台は今は回らないが、建築家に「奈落」を見てもらったところによれば、構造的には留めてある2本の支柱を外せば、回るはず、ということだそうだ。 子どもも「何となくスゴイ」ということだけは感じたらしい。 お二人の神官により、四方の柱のお清め(火打ち石と、榊につけた水を使う)、八幡社の方へ直って八百万の神々を呼び寄せ、「神遊び」の始まり。 愛知万博にも出ていたという「和力」の方々(お父さんと、息子さんと娘さんの家族)による、「鶏舞」「種まきの舞」そして「お囃子」を楽しんだ。 鶏の衣装を着けて出てきたのは、なんと中学3年生の息子さん。 若い子が、何でも一生懸命やる姿ってのはいいねぇ(とすっかりオバサンの感想)。 お父さんと妹さんの太鼓に合わせ、鈴と扇子を持って歌いながら舞うのだけれど、想像以上に凄い。 扇子は途中で空を飛ぶやら、フィギュアスケートのスピンみたいにくるくる回るやら。 振り袖のような長い袖が、何度も何度も観客すれすれのところを掠める。 さっきまでの「宿で寝ていた方がよかったかな」という思いは吹き飛んだ。 衣装も随分重たいだろうし、頭に被った鶏を表す烏帽子?もバランスをとりにくそうだ。 で、ちょっとシャイな感じがまたイイ(120%オバサンの感想)! 2つの舞を、続けて15分くらい見せてくださったが、あれは相当下半身を鍛えないと無理だ...と思ってしまう。 お囃子でお父さんが技を見せつけてくれたけれど、息を切らしながら戻ってきて太鼓を叩いていた息子さんに「あの子はモテるだろうな~」と惚れ惚れ(笑)。 彼は今年の4月に元服の儀を行い、樹齢800年の桜の木の下で、「鶏舞」を奉納したのだそうだ。 それも、誰も見ていない早朝に...ロマンではないの(はぁと)。 そういう世界もあるんだなぁ。 今の時代に、若い子たちが、こういう伝統芸能を親から受け継いで、ちゃんと習っているってことに、なんか感動...。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月18日 11時54分40秒
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