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2022年01月27日
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カテゴリ:陽明学
 
 一 心友問う。貴老、老仏は虚無をきわめ得ずとのたまえり。
彼は虚無を其の道としてくわし(精し/詳し)。
聖学は虚無を学とせず。何を以てしかの給うや。
 
 云う。我が心、即ち太虚也。我が心即ち声臭形色なし。
万物、無より生ず。聖学は無心にして虚無存せり。虚無の至りなり。
老仏は虚無に心あり。故に真の虚無にあらず。心を用いて虚無をいう。
故に其の学くわし(精し)。
しかれども、為〔ため〕にする所あり。
陽明子云く、聖人といえども、
仙家の虚上に一毫〔いちごう〕の実を加うることあたわず。
しかれども、仙家の虚は養生〔ようじょう〕の上より来たれり。
仏家の無上に一毫の有を加うることあたわず。
しかれども、仏家の無は生死〔しょうじ〕の苦海〔くがい〕を
出離〔しゅつり〕するの上より来たれりと。
告子が不動心も又似たり。
心を動かさざる上より功夫を用うる也。
なす所〔ところ〕義にかなわざる事あれば動くもの也。





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Last updated  2022年02月04日 21時16分02秒



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