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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。いかなるをか是〔これ〕中和とせん。 云う。いいがたし。過不及を知るところ今日の中和也 ともいえり 。 中和を致して天地〔てんち〕位〔くらい〕し 万物〔ばんぶつ〕育〔いく〕すというものは、徳の至り也。 一 心友問う。天地万物の始終・十二万歳の数、何を以てかこれをしるや。 云う。一昼夜即ち十二万歳に配す。 陽明子云わく、夜気〔やき〕清明〔せいめい〕の時、 視ることなく聞くことなく思うことなく作〔な〕すことなく、 淡然平懐なるは、即ち是〔これ〕伏犠〔ふっき〕氏の世界なり。 平旦(※夜明け)の時、神〔しん〕清く気〔き〕朗〔ほが〕らかにして 雍々〔ようよう〕穆々〔ぼくぼく〕たり、 即ち是〔これ〕堯舜〔ぎょうしゅん〕の世界也。 日中以前、礼儀交会、気象秩然たるは、即ち是三代(夏・殷・周)の世界也。 日中以後、神気漸く昏〔くら〕く往来〔おうらい〕雑擾〔だつじょう〕するは、 即ち是春秋戦国の世界。 漸々〔ぜんぜん〕昏夜〔こんや〕にして万物〔ばんぶつ〕寝息〔しんそく〕し、 景象〔けいしょう〕寂寥〔せきりょう〕たるは、 即ち是〔これ〕人〔ひと〕消〔しょう〕し物〔もの〕尽〔つ〕くる世界。 学者良知を得て気のために乱〔みだ〕されずば、 常に犠皇〔ぎこう〕已上〔いじょう〕の人ならんと。 昼夜の道に通じて死生を知り、死生に通じて天地の有無を知るべし。 有形のもの何ぞ常なるべき、我〔われ〕無に帰する時、 即ち天地の終〔つい/おわり〕也。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年03月19日 06時49分32秒
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