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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。陽明子云く、唐虞〔とうぐ〕(※堯舜)以上の治〔ち〕は、 後世〔こうせい〕復〔ふく〕すべからず。 三代(※夏・殷・周)以下の治は、後世〔こうせい〕法〔のっと〕るべからず。 惟〔ただ〕三代の治行う可〔べ〕し。 しかれども、世の三代をいう者、其の本〔もと〕を明らかにせずして、 其の末〔すえ〕を事とす。又〔また〕復すべからずと。 三代の法、今の時に叶い侍るや。 云う。万世師とすべく、他方〔たほう〕法〔のっと〕るべきは堯舜の治也。 礼いまだ備わらずといえども、渾然〔こんぜん〕として存〔そん〕せり。 篤恭〔とくきょう〕にして天下〔てんか〕平〔たいら〕かなり。 易簡〔いかん〕の善、至徳に配し、中和を致して天下位し万物を育するの至り也。 子思〔しし〕云〔いわ〕く、仲尼〔ちゅうじ〕、堯舜を祖述し、文武を憲章す。 孟子云く、堯舜を師としてあやまてる者はあらじと。 唐虞三代共に其の本を明らかにする時は一つ也。 其の末を事とする時はみな復すべからず。 三代以下は道行わざれば、いうにたたず。 世の三代というもの、多くは周の博文〔はくぶん〕の末を事とせり。 夏商〔かしょう〕をまじえ、時に応ずるをとれる者すくなし。 孔子〔こうし〕云〔のたまわ〕く、夏〔カ〕の時を行え、殷〔イン〕の輅〔ロ〕にのれ、 周の冕〔ベン〕を服せよ、楽〔ガク〕は即ち韶舞〔ショウブ〕をせよ。 これ、孔子の、堯舜三代の法の其の時に行うべきものを取り給う意なり。 聖人の法は、春夏秋冬の時によりて、衣服飲食動作の異なるがごとし。 久しければ弊〔ツイエ〕あり。故に時に因って損益すべし。 又〔また〕曰〔のたまわ〕く、麻冕〔マベン〕は礼也。今、純〔イト〕は倹せり。 吾〔われ〕は衆に従わんと。 緇布冠〔しふかん〕(※黒い布の冠)は 三十〔さんじゅう〕升〔ヨミ〕の布を用うることを礼の法也といえども、 今の人の手になりがたし。故に世人これを省約〔せいやく〕す。 孔子もしたがい給う也。 三代の礼といえども、今の世人の人情・時勢・気力に叶いがたきものは用うべからず。 万々歳といえ共〔ドモ〕、日本の他方というとも、祖述して師とすべきは唐虞の治也。 孔子の云〔のたまわ〕く、無為にして治るものは其れ舜か。 黄帝堯舜、衣裳を垂れて天下治る。 問う。陽明子云く、行うに太古の俗を以てせんと欲するは、老仏の学術也と。 まことに朴〔バク〕に反〔カエ〕り淳に還〔カエ〕ることは、 万物を放下せずば叶うべからず。 専〔もっぱ〕ら無為を事とするは、三王(夏・殷・周の王)の、 時に因〔より〕て治を致すが如くなること能〔あた〕わず。 云う。無為にも又〔また〕真〔しん〕あり。 時に因て治を致して、近き者いとわざる(厭わざる)は即ち無為なり。 俄かに太古純朴の跡をかえし行わむと欲すとも、得〔う〕べからず。 勢いある人しいてなさば、大いに害あるべし。 天下の大乱は、虚文勝ちて実行〔じっこう〕衰〔おとろ〕うるよるといえども、 事を以て倹約朴素にかえさんとするは、ただ其のままの虚文不実にて、 すておくにはおとり(劣り)て、乱いよいよすすむべし。 事の多少博約にかかわらず、唯〔ただ〕心の誠を立て、天下誠を尊びば、 太古無為純朴の真ならむ。 風俗は漸〔ゼン〕を以て復して害あるべからず。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年03月19日 06時52分29秒
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