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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。下学〔かがく〕上達〔じょうたつ〕は下〔しも〕人事を学びて 上〔かみ〕天理に達すといえり、いかむ。 云う。しかり。陽明子〔ようめい し〕云〔いわ〕く、 教えて学ぶべく、功夫〔くふう〕を用うべき者は皆〔みな〕下学〔かがく〕也。 上達は下学の裏〔うち〕にありと。 耳目〔じもく〕の聡明〔そうめい〕・説解〔せっかい〕の精微〔せいび〕・ 心思の功夫は、人事也。 此の人事の中より耳目・言説・心思の、人力の及ぶべからずして自然に得〔う〕る者あり。 これ則〔すなわ〕ち上達の天理なり。 下学のつとめの誠あるによって至るべき所なり。 一 心友問う。知行合一といえども、知りて行わざる者多し。 知ることは易く行なうことは難〔かた〕し。 されば、知行合一とはいいがたからんか。 云う。王(陽明)子云く、知は行の始めなり。行は知の成る也と。 此の説〔せつ〕易簡〔いかん〕にして得たり。 知るといえども行わざるは、始めあらずということなし、 よく終りあることすくなし、といえるものなり。 知ること実ならざるが故に成ることなき也。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年03月19日 06時52分54秒
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