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2022年05月05日
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カテゴリ:陽明学
 
 一 心友問う。操〔と〕るときは存すといえり。
とるという時は、一物有るがごとし、いかが。
 
 云う。古人云わく、欲すべき物は是〔これ〕形色の上にあり。
留蔵〔りゅうぞう〕すべき物は気象の上にあり。
欲すべからず、留蔵すべからざる所において、操るといい存すという。
惻隠・羞悪・辞譲・是非の四端の発見〔はつげん〕し著〔あらわ〕るる事多くば、
操存〔そうそん〕のしるし也。
忿懥〔ふんち〕・憂患・好悪・驚懼〔きょうく〕の情〔じょう〕日々に滋長するは、
放舎〔ほうしゃ〕亡失〔ぼうしつ〕のしるし也。

 問う。四端も亦〔また〕情ならずや。本心の無思無為・寂然不動の常体にあらず。
自然の感はさもあるべし。しげきを以てよしとするは、何ぞや。

 云う。天理・人欲、並び立たず、心、天理を主とする時は、人欲亡失す、
是〔これ〕を操存という。
心、人欲を主とする時は、天理亡失す、是を放舎と云う。
天理存する時は、日夜天理の感応のみ。
故に、万物一体の理〔ことわり〕感じては惻隠の情〔じょう〕発す。
義の理を感じては羞悪〔しゅうお〕の情発す。礼・知も又しかり。
是〔これ〕皆真実無妄の天理也。これを天理流行と云う。
則〔すなわ〕ち無思無為・寂然不動の常体也。
思い邪〔よこしま〕無きことを無思と云い、私己〔しこ〕の動きなきは無為と云う。
天理の寂然不動は有事・無事を以て二つにせず。
《陽明子云く、鐘、未〔いま〕だ扣〔たた〕かざる時、
原〔もと〕これ天を驚かし地を動かす。
既に扣〔たた〕く時、也〔また〕只〔ただ〕これ天を寂〔せき〕し地を寞〔ばく〕す。》
(陽明子云、鐘未扣時、原是驚天動地。既扣時、也只是寂天寞地。)

 問う。天理を主とし、人欲を主とす。
心の外に天理・人欲と云う物あるがごとし、いかん。
 
 云う。此の心の外〔ほか〕に天理なし。人欲も亦〔また〕外ならず。
たとえば目のごとし。喜悦する時の眼色と、忿怒〔ふんど〕する時の眼色と、
眼色各別也といえども、同じ目なるがごとし。
ただ心のおもむきを以て天理・人欲をわかつのみ也。
心〔こころ〕裏〔ウチ〕に向い、性命の本源を失わざるときは、天理を主とすると云い、
心〔こころ〕表〔ホカ〕に向い、末にしたがう時は、人欲を主とすと云うなり。

 問う。心、内外なし、何ぞ裏〔うち〕に向うというや。
 
 云う。本〔もと〕より内外なし。
内外に出入りするをいうにあらず、ただ心のおもむきを云うなり。
 
 問う。七情(※喜怒哀楽愛悪欲)は聖人といえどもなきことあたわじ。
放舎のしるしとは心得がたし。
 
 云う。ただ聖人のみならず、天地といえ共〔ども〕七情あり。
凡夫といえども又〔また〕四端あり。
凡人の四端は、百姓日々に用いて知らずと云うもの也。
聖人の七情は、形色は天性なり、ひとり聖人にしてあとよく形を践〔ふ〕むべし、
と云うものなり。





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Last updated  2022年05月13日 06時59分44秒



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