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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 同志の人々の書を読むこと、心を用いて書を読むか、書を以て心を読むか。 多くは書を本〔もと〕として心を末〔すえ〕とし、 書の文義を解せんことを求めて心をわするるならん。 陽明子、是〔これ〕を食にたとう。 食は此の身を養うもの也。食〔しょく〕しおわりては消化すべし。 若〔も〕し食〔しょく〕積みて消〔しょう〕せざれば病をなす。 後世、博文多識、胸中に滞〔とどこお〕る者は食傷の病也といえり。 故に、よく書を見る者は、かたはし(片端)より解せんとせず、文義にくるしまず。 只〔ただ〕書によって自己の心を説き得て悦ぶところを楽しむ也。 知り得れば本〔もと〕知るべきことなし。さとり得れば本さとるべきことなし。 知覚は知覚なき所に至らんが為也。 しかれ共〔ども〕、知らざるときは淪埋〔りんまい〕す。 問う。先言往行を識〔しる〕してたくわうる(蓄うる)といえるはいかむ。 云う。本〔もと〕立つときは、知識たすけと成るべし。 末〔すえ〕によるときは、知識〔ちしき〕累〔わづら〕いをなす也。 此の身を養うを以て主意とする時は、飲食みな助けとなり、 味わいを好むにながるる時は、病を生ずるがごとし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年05月13日 21時53分52秒
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