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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 旧友問う。平の清盛、常盤〔ときわ〕が色に迷いて、 敵の子を助けおき、子孫の憂えとなれり。 其の外〔ほか〕此の如くのためし多し。よくたづね求め殺すべき事なるか。 云う。凡人より見る時はしかり。天命を知る人よりみればしからず。 色にまよわずして人の根〔ね〕をたつべきよりは、 色にまよいてなりとも助けたるはまされり。 義朝の子を残らず殺したりとも、清盛が悪虐〔あくぎゃく〕・ 平家の奢〔おご〕りにては、外より敵おこりてほろぼさるべし。 平氏、天命にそむきて、みづから敵を生ずるなれば、誰ということはあるまじ。 迷いてなりとも助け置きて人の後をたたざる故に、 平家のほろぶるにも、子孫ここかしこに落ちとまりて今にたえざる也。 一 心友問う。書簡中(*)、 「忠信を主とすは本体工夫也、意を誠にすは工夫本体也」と候は、 陽明子の学術、異学の病あるに似たり。如何。 云う。予も、此の語意、中和ならずと思えり。 然れども、義において害なきが故に改めず。 忠信は人の人たる根本の徳也。誠は天の道也、則〔すなわ〕ち本体也。 誠を思うは人の道也、則ち工夫也。 忠信を主とすは誠を思うの義なり。誠意の誠は意を誠にするなれば工夫也。 然れども意〔い〕終〔つい〕に誠に帰するときは、誠の本体也。 故に工夫本体というなり。 *『集義和書』巻四書簡之四 一、来書略。忠信を主とすの語、諸儒の説を聞き候といえども、 文義に依りて理を云う所はきこえたる様に候えども、 今日の受用にて取りてはしかと得心〔とくしん〕仕〔つかまつ〕りがたく候。 返書略。大学の伝に意ヲ誠ニスといえるは即ち忠信ヲ主トスルの工夫なり。 忠信を主とするは本体工夫なり。意を誠にするは工夫本体なり。 忠信を主とするは未発〔みはつ〕の時に誠を養うなり。 意を誠とするは已発〔いはつ〕の時に誠を存するなり。 誠は天の道なり。誠を思うは人の道なり。 誠を思う心真実なれば、誠すなわち主となりて、思念をからずして存せり。 是〔コレ〕忠信を主とするなり。 又先儒の説に、真心〔しんじん〕に発する、これを忠といい、 実理を尽くす、これを信というといえり。 此の解おもしろく覚え候。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年05月27日 22時25分04秒
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