|
テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。「よく近くたとえをとる」と云うことは、いかが。 云う。これ、事にあらず、心にあり。 人、耳目口鼻四肢を取りてたとえ(譬え/喩え)せば、甚〔はなは〕だ近しとせん。 其の己に有するがため也。 それ仁者は、天地を一身とし、天地の間の万物を四肢百体とす。 今の人の一身を見るがごとし。外〔ほか〕により取り来たりてたとえとするにあらず。 この故に、万物を取りてたとえとすれども、 世人の一身の中にたとえをとるよりも、親切にして人の心に通ず。 夫〔そ〕れ人、己が四肢百体を見て、爪皮〔そうひ〕にいたるまで愛せずということなし。 疾痛〔しつつう〕快楽その心に切なり。 ただ手足しびれなえたる人のみ、うち(撲ち)つみ(抓み)ても其の心をわづらわさず。 手足我に有りて疾通あづかりしらざれば、 是〔これ〕を不仁の病〔やまい〕という。 人の、物我〔ぶつが〕のまよいありて、他人の困苦に其の心をうごかさざるたとえとす。 聖人は至神也。故に、天地を父母とし人民を兄弟とす。 不仁の人は、父母兄弟の困苦だに己が四肢のごときとならず。 この故に恩を知らざる者あり。 問う。今の時、天下困苦の人多し。 これを以て一々其の心〔こころ〕累〔わづら〕わさば、快楽のいとまなからむか。 云う。義は仁の時なり。天下の主は、天下の困苦を以て其の心をいたましむ。 故に困苦なき仁政あり。国主・郡主しかり。 士・庶人は其の一家の困苦をあずかるべし。 是〔これ〕其の分〔ぶん〕によりて仁のほどこし異なるは着也。 仁を好みて義を知らざる者は、国・郡〔こおり〕の主として天下をすくわんことを願い、 士・庶人として国におよぼさん事を欲す。 却りて倫〔りん〕をみだり(乱り)仁の累〔わずらい〕をなす者あり。 これを知らざるなり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年07月08日 21時52分46秒
[陽明学] カテゴリの最新記事
|