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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心法は心の向かうところを慎むべし。 向かう所〔ところ〕実〔じつ〕なる者は自然にいたるものなり。 孟子、性善をいえり。 善は内より出づるもの也。故に邪をふせぐ時は誠おのづから存す、 善といい誠という、皆〔みな〕性の徳也。一体異名也。 誠は則ち善也。善は則ち誠也。 今の人、心の好み向かうところ、利と欲とにあり。 必ずしも利欲を主とせんと思わざれども、自然に利におもむき欲に住〔じゅう〕す。 工夫、力を費やさずしてよくする者は、向かう所実なれば也。 誠は天を以て根〔ね〕たり。固有の徳也といえ共〔ども〕、 志〔こころざし〕の向かうところ実にあらざれば、思う時は存し、忘るる時は亡するがごとし。 工夫を用い力を付〔つ〕くるといえ共、存養しがたし。 若〔も〕し心〔こころ〕実に徳を好み邪をふせがば、誠自然に立ちて善〔ぜん〕行わるべし。 是〔これ〕を忠信を主とすという。 忠信外より求め来たりて主とするにあらず、本〔もと〕よりの主也。 今は人欲主となるが故に、忠信は心を起こして存す。客来〔きゃくらい〕のごとし。 故に程子云く、東に之〔ゆ〕かず、西に之かず、是〔これ〕中也と。 東西にゆかざるを中というにあらず、東にゆくを必〔ひつ〕とせず、西にゆくを必とせず。 義とともにしたがうときは中也。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年08月26日 22時15分23秒
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