|
テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 学友問う。《一陰一陽、これを道と謂う。 これを継ぐ者は善なり。これを成す者は性なり。》 (一陰一陽、謂之道。継之者善也。成之者性也。) 云う。太極〔たいきょく〕時に動いて陽生じ、時に静かにして陰生ず。 動静は時也。陰陽たがいに其の根をなす。 太極は特にたがわず(違わず)。太極もと無極也。故に是を道という。 一陰一陽生々してやまざるを継ぐという。 やまざる時は、四時〔しいじ〕行われ日月明らか也。 善これより大なるはなし。造化の流行を見れば善なり。 山下の出泉〔しゅっせん〕、其の始めにごれる(濁れる)ものなし。 いまだ清濁をいうべからず。 中間にごり(濁り)をなすものあれば本源の水の色を失う。 ここにおいて清濁の名出で来ぬ。 源出にたがわず、継ぎつげるものを清といわむがごとし。 造物者、人を成して人の性あり。万物を成して万物の性あり。 人は天地の心なるゆえに、一陰一陽の理〔ことわり〕全うして、明徳備われり。 仁・義・礼・智の 性の徳を失う時は不仁・不智・不礼・不義 水の、中間、清濁の異あるがごとし。 天は無心無欲也。故に、理気はなるる(離るる)事なくして、四時あやまたず。 人の有心〔うしん〕有欲〔うよく〕なるが故に、 聖人以下の人、過ちなきことあたわず。よくあらたむるを善とす。 心法は天命の 則ち一陰一陽を道というと一致也。 人、幼〔いとけな〕きより善なる者あり、幼きより悪なる者あるは、 気稟〔きひん〕の自然也。 幼〔いとけな〕きより悪なりといえ共〔ども〕、仁・義・礼・智の性なきことあたわず。 故に、恥〔はづ〕る所有り、はばかるところあり。この故に、成長して人となれり。 たえてなき者は、一日も生〔い〕くべからず。 水にごるといえども、水にあらずというべからず。 人の性は善也といえども、悪も又〔また〕性にあらずとはいいがたし。 赤子の時いまだ善悪の名なし。 後来〔こうらい〕にごる(濁る)事の多少〔いくばく〕、 終〔つい〕ににごらざるものは聖人也。 少〔すこ〕しくにごりて(濁りて)はやくすめる(清める)は賢人也。 多くにごれども(濁れども)、力を用うる事〔こと〕勇にして敏〔びん〕なるは、 数年ならずしてすみ(清み)、ゆるきは、おそくすめり。 人生まれて静なる以上は説くべからず。 わづかに性をとけば性にあらずといえり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年09月02日 21時42分27秒
[陽明学] カテゴリの最新記事
|