|
テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。自逝〔ジセイ〕(※辞世の言葉や詩句)は有るべき事か。 云う。自逝する者は生死に心あり。或いは名を好めるが故〔ゆえ〕也。 近くしては昼夜、遠くしては生死也。 夜に入〔い〕りていぬる(寝る)者、何の心あり何の名ありて自逝すべきや。 死生は天地の常理也。道理にしたがいて始終する者は無心也。 むかし程伊川〔テイ イセン〕病みて死なんとす、 郭忠孝〔カク チュウコウ〕と云う者〔もの〕往〔ゆ〕きて見るに、 伊川目をとぢて(閉ぢて)黙然たり。 忠孝云う、「夫子〔ふうし〕平生の学ぶ所、此の時に用〔もち〕うべし」。 伊川云う、「用うを道著〔どうちゃく〕すれば、便〔すなわち〕ち不是〔ふぜ〕 (道著用、便不是)(※用うると云ってはいけない)」と。 忠孝いまだ寝門を出〔い〕でざるに伊川卒す。 問う。遺言〔ユイゲン〕という事は有るべきか。 云う。死去人〔しきょにん〕のいい置くべき事は、生き残る人々の心にあり。 時〔とき〕・所〔ところ〕にしたがいて子孫の位〔くらい〕に応じ、 義に害なき事は勢にまかすべきのみ。死する者何をかいわん。 但し遠方へゆく人の、留守居の及びまじき事をいいおくごとき事、あるまじきにあらず。 子弟の教うるの言は平日の言なり。遺言に非〔あら〕ず。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年09月30日 23時19分36秒
[陽明学] カテゴリの最新記事
|