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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。孟子、言〔げん〕を知るといえり。 道学において重きことは、何ぞや。 云う。予〔われ〕は予〔わ〕が言を知るのみ、 心〔こころ〕定まる時は其の言重くして舒〔ゆる〕やかなり。 定らざる時は其の言軽くして疾〔と〕し(※鋭い、激しい)。 問う。事の急なる時は、いかが。 云う。心定まる時は急なりといえども変せず、只〔ただ〕其の言すみやかなり。 重舒〔ちょうじょ〕変じて分明なる者也。 無事の時に疾〔と〕きは心いそがわしき故也。 急なる時すみやかならざるも心とどこほれば(滞れば)也。 一 心友問う。「聖人の言をおそるる」の意、いかが。 云う。聖人は万歳〔まんざい/ばんぜい〕の師なり。其の言は我に教うる也。 我必ずこれを受用せんとす。故に畏〔おそ〕る。 天より命じて師とす、今日の君命のごとし。 問う。「大人〔たいじん〕をおそる」と。大人は在位の人か。 在位の人不徳にて、我〔われ〕道あらば、何をか恐れんや。 云う。天〔てん〕命じて貴人とし上に立たしむ。故におそる。 畢竟〔ひっきょう〕「天命を畏るる」也。 問う。天何ぞ不徳の人を命じて有道の人の上に立たしむや。 云う。勢いの自然也。自然の勢いは天命也。 故に、君子は自然にしたがい、小人は力を以て自然にもとり災いをまねく者也。 故に云う、「小を以て天につかうるは天をおそるる者也」と。 小はまことに大に敵すべからず、是〔こ〕れ自然の天命なれば也。 「大を以て小につかうるは天をたのしむ者也」と。 大はまことに小をしたがえ易し。 しかれども、恭敬してつかうる者は義理あるを以て也。 心につかうべき義理をしれば、其の義理をたのしびて、外〔ほか〕の勢いを忘るる也。 将軍家の禁中につかえ給うがごとし。 将軍家は天下を我〔わ〕が物として、大というにも及ばず。 しかれ共〔ども〕、天照太神の皇統にて三種の神器おわしまし、天威のおされざる所あり。 故に、代々の将軍家おそりかにし奉〔たてまつ〕り給う事あたわず。 足利家の盛世の時は、本〔もと〕より将軍家にまかせられたる公家〔くげ〕なれば、 ないがしろにしたりとて眉目〔びもく〕にもならざるに、 天を楽しむの道理をしらで(知らで)、勢いにまかせ日々に公家の威をけづりたる天罰にや、 足利家の威もほどなくおとろえて、四、五代は公方〔くぼう〕という名計りにて、 公家のごとくなりて亡びたり。 武家の強大を以て公家の微弱なるを尊敬し給いてこそ、 後世のほまれ共〔とも〕成るべき事なれ。 強大の人、微弱の人をおし(圧し)つけて、眉目とおもえるは、くらき事也。 其の非礼を武家の例とする人あるは、あやまり也。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年11月11日 21時39分24秒
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