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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。もろこし上代の詩よりも後世の上手〔じょうず〕の詩面白し。 この故に、人のもてあそぶも皆後世の詩人の詩のみ也。 云う。尤〔もっと〕も詩は名を得たる詩人上手也。然れども、上古の詩の様に優柔ならず。 問う。しからば、後世というとも賢人の詩は優〔ゆう〕なるべきか。 云う。賢者といえども、後世の詩はただ其の言葉の正しきのみにて、 優柔の風〔ふう〕はすくなし。賢者の心は正しきのみ。 其の風は其の代〔よ〕の神気の化する所あればなり。 上代の人は玉冠〔ギョクカン〕を着〔ちゃく〕せり。 後世は、賢者といえども、常に着することあたわず。 是〔こ〕れ神気のうつりかわれるが故〔ゆえ〕也。 日本上代の人、道徳の学はしらざれども、今のしりたらん人の及ばざる所あり。 世の中ゆるやかにして神気あつき故也。 今の学ある人、道理をしることは古人〔いにしえびと/こじん〕よりもくわしといえども、 世の中のせわしきに習いて神気うすし。故に風は古人に及びがたき所あり。 其の跡の見るべきものは詩歌也。 中古の歌人、学ひろく名を得しも、 上古のしらずよみ(※読み人知らず)によみたる大方の人の歌も風体は及ばざるがごとし。 上代の歌は優柔也。中古以来の歌は上手といえども迫切〔ハクセツ〕にして優柔ならず。 これ自然に人心の感ずる所也。人心は政教風化のしからしむる也。 其の世の中の習いたる人の心気、歌の本〔もと〕なれば、おのづから言にあらわるるもの也。 たまさかに優柔に似たるもあれども、 それをよしとして作りたるものなれば自然の風に非〔あら〕ず。 いにしえは日本の国遠くしてひろく、近来は近くしてせばきがごとし。 政道ゆたかなる時はひろくて、せわしき時はせばき也。 しかるに、せばきを以て一面によく治〔おさま〕りたると思うはあやまり也。 いにしえは人心〔じんしん〕上〔かみ〕に服せしかば、人質という事もなく、 凶事なければ、早使い早馬ということもなく、礼式定まりてしげき往来もなし。 この故に、諸国のおとづれも遠く、人の歩行もいそがずゆるやかなりしかば、 日本ひろく東西遠かりし也。 其の代〔よ〕の風、歌にあらわれてしらるる也。 もろこしにては、国〔くに〕郡〔こおり〕村〔むら〕里〔さと〕の婦女の小歌をとりて、 其の政〔まつりごと〕其の俗〔ぞく〕をしれりと云えり。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年12月03日 00時01分24秒
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