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テーマ:日本的なるもの(437)
カテゴリ:陽明学
一 心友問う。其の背〔せなか〕に艮〔とどま〕る(艮其背)とは、如何。 云う。せなかは不動無欲の所〔ところ〕也。 人の身中、目の見〔み〕・耳の聞〔きき〕・口の味〔あじわい〕・鼻の臭〔かぎ〕・ 腹の飲食〔のみくい〕・手の取〔とり〕・足の行〔ゆく〕、みな欲あり動あり。 ただ背〔せなか〕のみ欲なく動なし。故に一身の本〔もと〕たり。 一身は背の不動につきて用をなす者なり。これ我が身によりてたとえをとれり。 心無欲にして身の主〔あるじ〕たるべし。欲ある時は一身に主たることあたわず。 況〔いわん〕や家・国・天下をや。 欲は好み悪〔にく〕みなり。好んで得むことを欲し、悪むでは去らむことを欲す。 其の好悪〔こうお〕にもとる時は心うごきさわぐ。 或いはいかり或いは恐れて心くらくなれり。心は霊明を以て身の主たり。 霊明の真〔しん〕を失う時は主の用なし。 これを放心というなり。 一 学友問う。雷〔らい〕は天のいかり(怒り)という説あり。 云う。よろこびとはいうべし。雷雨のうごくみちみてり。 草木〔そうもく/くさき〕生意〔せいい〕をまし、人気〔にんき〕すずしく心地よろこばし。 先王以て楽〔ガク〕を作り給えり。 風来共に造化の常はよろこばし。常にこゆるはいかりとも云うべし。 周公の徳をあらわさんがために大風おこり、 北野の天神の忠臣の怨みを感じて甚雷〔じんらい〕ありしたぐい也。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022年12月09日 22時05分21秒
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