【名前がない時の自分の命】
【名前がない時の自分の命】 ★境野勝悟(かつのり)氏の言葉から― ◎ほとんどの人が、本当の自分の生命というものがわかっていない。 人は生まれると、すぐ、命名される。 みんなから、その名前で呼ばれる。 「ハイ」と返事をする。 小学校でも、中学校でも、先生や友だちから、名前を呼ばれる。 高校入試、大学入試に合格すると、自分の名前が、書かれている。 「うむ、合格したか。ヤッター」と思う。 自信を持ちはじめる。 いつの間にか、名前が自分だと錯覚してしまう。 洞山(とうざん)和尚<807~869>が雲居(うんご)和尚に 「きみの名前は、何だ」と問うと、「ハイ、雲居です」 洞山は、また質問した。 「それは生まれたあとでつけられた名前だろう。わたしが聞いているのは、 お前がまだ母親の胎内で生きていたときの名前だ」。 雲居が答えた。 「そのときのわたくしには、名前はなかった」。 洞山はいった。 「その名前のない母の胎内の自分と同じ生命で、今日もこうして生きて おられるのだぞ。名前のついた自分も大事だ。が、名前のつかない自分は、 もっと大事だ」 (参考文献:境野勝悟著 「道元・禅の言葉」 知的生き方文庫)________________________________________ *昔は数え年で年齢をかたっていた。 つまり、母の胎内にやどったときから年齢が始まり、生まれたときは すでに1歳となっていた。 今は、ほとんどがお母さんから生まれたそのときから年齢を数えている。 さらに今は、胎内にいるときでも時期がくれば、男子か女子かがわかるから そのときに命名する親もいる。 しかし、命とは、男女の区別がつかないときから存在していた。 名前がまだなかったときの自分の命を深く考えることはないが、生命がいか に尊いかを知るうえにおいて、自分の命の原点に気づくことも必要だ。 このことが理解できれば、名前に込められた親の願いや、愛の深さを知る 人になることもできる。 命を大切に、もっと自分を大切にしたい。