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カテゴリ:まいにちのきろく
一月は行く、二月は逃げる、三月は去るっていうけれど、あっという間に三月に突入ですね。 「早いなぁ」と思う反面、1日24時間の積み重ねが今日に至るとまたまた反省。 先月の一日も反省したけれど、果たして2月の一ヶ月間で私の中に何が溜まっていった事か・・・・。 今月はもっともっと、「一日を大切に」「笑顔を忘れず」「感謝を忘れず」などなど・・・。あぁ自分の「まだまだ」が目の前に付きつけられる気がします。でも、一ヶ月にせめて一回はこういう「反省の日」が無くてはと、一日はお赤飯を炊いてその炊き上がる香りの中で自己を回想する時間を作っています。 「今月もまた一日という始まりの日を与えてくださって感謝します。」という気持ちと、「また今月もどうぞよろしくお願いします。」という気持ちで。 三月は、弥生という文字もそうですが、「末広がりの春をイメージする明るい月」です。 しかし半面、私にとっては今まで何度も命の危機に面した月でもあります。(なぜか大病や大怪我をするのはいつも三月なのです。)そして絶望の淵から、春の日差しや花の香り、そよ風、土の香りなど、目に見えない物に励まされて、一歩一歩亀さんのように這い上がり、初夏の頃に復活するという事を何度も繰り返しているのです。 そのため「三月」には、いつもの月とはちょっと違った思い入れがあるのです。 「今年の三月も無事乗り越えられますように」 風に、空に、空気に、水に、花に、目に見えぬ何かに・・・・。ひたすらすがって、日々を無事息災に過ごさせていただく。 「もう駄目かもしれない」と、自分の命の灯火に最後がある事を目の前に付きつけられた日から、「いつ命の日が消えても良いように、精一杯生きておかなきゃ」と毎日思いつつ暮らしています。 「未来が永遠に続くと思うから、夢が描ける。」 そう、夢を描くことは生きていく糧になります。夢がなければ、前には進めない。 「自分が死んだ後、本当に悲しんで泣いてくれる人がいるか?惜しんでくれる人がいるか?どうせ生きるなら、そういう死に方をしたい。」 そう、自分の死に様を考えるから、自分の生き方を律する事ができる。 どきどきの三月。今年も笑顔で四月が迎えられるように、日々を大切に暮らして行かなきゃ。 「笑顔、笑顔。笑う門には福来る。」 二月に鬼は去ったんだから、明るい三月を過ごしましょう! あ、そこにもここにもあそこにも、幸せの芽が出ているよ。あなたにも私にも。
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