罠にかからないように
毎日毎日日常生活を繰り返していると、「禍福あざなえる縄の如し」でいろいろな事が大波小波で押し寄せてきます。今日も元気、明日も元気!毎日ラッキー!あぁ楽しい。♪と口癖のように唱えながら日々を過ごしていると、いきなり足元に罠があったり、落とし穴があったり・・・・。以前の私なら、思いっきり罠に吹っ飛ばされて、落とし穴に落ち込んで・・・・。泣いて悩んで・・・・だったと思いますが、人間幾つになっても成長できるんですねぇ。(それとも年と共にずうずうしくなったのか・・・・。)最近の私はというと・・・・。「あらら、こんなところに罠が・・・・。これは、何でここにあるのかな?最近気が弛んでるぞ!いい気になってないか?との天の声かなぁ?反省反省。」って、ひょいと跨いでいけるようになりました。「あれれ、こっちには落とし穴が・・・。うーん、どっかで気付かないうちに誰かを傷つけるような事しちゃったかなぁ?反省反省。ごめんなさい。」って、よけて通れるようになりました。「あちゃー!ここには大きな水溜り・・・・。思いっきり転んでドロドロになっちゃった・・・。うーん、今自らの頭で考え、実践していると思っている生きかたは、虚構じゃないか?虚像じゃないか?て試されてるのかも。今の私は本物の志を持ってる?砂の城ではない?裸の王様になってない?」って、お風呂に入って着替えながら、振り返る気持ちを持てるようになりました。例え大波小波を頭からどんなにかぶろうと、お風呂に入れば綺麗になるし、乾かして着替えれば、ハイ元通り。例えお風呂が無くても、着替えが無くても、さえあれば乾くしね。それさえ無かったとしても、実は降りかかってきたのは塩水ではなく真水で、かんかんに照っていて、放っておいてもあっという間に乾くかもしれません。そして、もしかしたら濡れたと思ったのは気のせいで、上手によけていたのかもしれないし。今の自分は間違ってない?進んでいる方向は間違ってない?そのバロメーターは、「心友」達。知人はただの知り合い。それからちょっと関係が深くなると友人。友人と思っている感情は、よく一方通行の思いがあります。そして「心友」は、正に心の友。主義主張、生きかた、哲学が、良く似た友達。これは、年齢、性別を問わないように思えます。見つけるのは難しいけれど、いわゆる「縁」で結ばれていて、まるで計ったように出会える友人。その「心友」が万人が見て素敵な人であれば、きっと影響し影響されている自分も間違っていないと思えます。以前、「人は階段を昇って行くように一歩一歩成長していく。そして知り合いになれるのは、今自分がいる段から上下見える範囲の段にいる人々。自分が一階の一段目にいる時は、決して百階にいる人とは知り合えない。知り合うためには、自分が相手のいる階に辿りつかねばならない。」と教わった事があります。「心友」は授影響受影響しているので、お互いに共に階段を昇って行く仲間だそうです。ですから、いかに良い「心友」がいて、共に階段を昇って行っているか?が、今ある自分の姿を客観的に映す鏡だそうです。今私の周りに居てくれる仲間は、皆個性溢れるとっても素敵な心友達。こんな素敵な方々が居てくださるって事は、今の所私も道を反れていないって事。『「心友」マークを返上します』って言われないためにも、やっぱり今日も頑張らなくっちゃ。さぁ、我が心の幸せ草!今日も元気だ頑張ろう!