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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:まいにちのきろく
先週の今日、ある方から子供の教育について言われた一言に傷つき、落ち込み、中々立ち直れなかった。 その一言を言われた時、自分の心が瞬時に逆立った。話を聞いている間、心の表面はプチプチと泡立ち、トゲトゲに戦闘体制に武装して、そして、そうやって必死に自分を正当化しようとする自分を見てさらに傷つき、落ち込んだ。 家に帰ってきて涙が止まらなかった。 人から傷つけられたことが悲しかったのか、自分の自信の無さが悔しかったのか、それとも自分自身で自分を傷つけた事が愚かだと思っているのか・・・・。だんだん何の涙なのか分からなくなってきていた。 一生懸命自分を立て直そうと、ブログを書いたり、人に会ったり、外出したり、趣味や仕事に没頭したりと自分で考え付く限りの行動を取ってみたけど、落ち込んだ穴は意外と深くてなかなか這い上がってくることができなかった。 ふとした折に、心に刺さった棘が私の涙腺を刺激する。 私の肉体的なハンディが、子供にも影響をあたえているのか? 失った子への思いが、今ここにいる子を甘やかしているのか? 自分が傍にいることが、子供にとって悪影響なのか・・・・? 不安な気持ちがとことん自分を追い詰め、とうとう何も出来なくなってしまった。苦しくて苦しくて、どうしようもない気持ちで過ごした1週間・・・。 泣きつくして疲れ果てふと思いを外に向けていたら、お友達が春の使者の寄せ植えを届けて下さった。 私の思いを聞いて頂いた方から、度々「大丈夫?」の電話を頂いた。 何週間も前に遊びに伺う事を決めていた方や一緒に行ったお友達から、たくさん立ち直りの方向を示していただいた。 『もう立ち直れない』と思って泣いていたのは、私の思い過ごしであった。 底だと思って泣きつくしていた絶望の淵には、実は安全ネットが張ってあって、その上で底を見ながら落ちたと泣いていただけだったのかもしれない。 崖っぷちからは、たくさんの人がクモの糸ならぬ情の糸をたらして、救いの手を差し伸べて下さっている。 傷つくのも、泣くのも、落ち込むのも、人間だもの。しょうがない。 でも、傷つけたり、泣かせたり、落ち込ませたりしたわけではないもんね。 自分自身にすっくと立てる背骨を持って、自分の生き方に責任を持って生きて行けば良いんじゃない?人様に迷惑をお掛けしなければ、もっと自信を持っても良いんじゃない? まだまだ救いの手があるうちは、私も捨てた物じゃないって事かもしれない・・・。 奢り高ぶらず、教えを頂き、導きを頂きながら、今日も素直な心で頑張る事にしましょう。 今日からは新しい自分。お天気と一緒に、気持ちも。 三つ葉は出てきた?幸せ草。 助けを得られる自分でいられた。 泣ける自分でいられた。 人様の情けが身にしみた。 うわー、今日もたくさん幸せの種。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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