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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:自分育て
結婚して別の家庭を持ち、今ふとした瞬間に、自分のDNAに刻まれているのであろう両親や祖父母、そのまたご先祖様の姿を、自分の中に見る事があります。 靴磨きや、お皿洗い等の暮らしの一コマから、思考の癖、物の見方などの精神的なものに至るまで・・・・・。 そしてその瞬間に、両親の娘である事、祖父母の孫である事などを思いだし、脈々と続く「血の守り」を感じ、何だか温かい気持ちになるのです。 秋の夜長に縫い物をしていれば、ふと横に母が同じようにしてお裁縫をしていた姿を思い出すし、お布団の中で読書に熱中して、ふと顔を上げた瞬間に父が本を読んでいる姿を思い出す。 そういえば実家にいる頃は、一人暮らしのお隣さんから「お宅はいつも笑い声が絶えないので、その声を聴いてついついつられて笑わせていただいています」と言われていたっけ。 ということは、私の中には「明るい家庭、楽しい家庭」を作るDNAは刻み込まれているはず。 そこで夫に、「私ってどんな人間だと思う?」と聞いてみました。 「えっ?」と一言・・・、その後の絶句・・・・。しばらく考えて、また一言。 「明るくて面白い奴。それ以外は浮かばない!」 「たったそれだけ?」とちょっと憤慨しかけたけど、よくよく考えれば「笑い」は、免疫力を高め、元気のパワーになってくれるもの。 まぁいいか! そういえば、昨日に引き続き『阿久 悠さんの詩』に、親の後姿の目標にしたい物がありました。 『窓辺で本を読む親』 どんな親がいい親だろうね 何でも許してくれる優しい親か 小遣いをたっぷりくれる甘い親か 喧嘩の仇をとってくれる親か 勉強しろとうるさく言わない親か いろいろ考えられるけど どれだろうね どれだろうね 威張りかえっているのも厭だし 妙にへらへらしているのもご免だし 世間に弱く家族に強いってのも 迷惑な話だし どれだろうね どれだろうね そこで一人一人お前はどうだ 何か思うところがあるだろう 厭でたまらないところでも 愛しい何かでも どんな親だと 説明しなくていいから これは厭 これは好き それだけでいいから言ってみなよ 酒呑んで吠えるのは厭だね 夫婦喧嘩は恥ずかしいね 裸で人前に出るのは不作法だ そこでぼくに順番がまわってきて 親の好きなところはね 本を読む姿だなと答える いいよ すごくいいよ 窓辺の明るいところで 親が真面目な顔で本を読んでいるって 何か僕の親は物を考えたり 他人に敬意を払ったり そういうところが見えて いいよ すごくいいよ 親の姿として、本を読む姿と言うのはあまり重大ではないと思えるのだが、印象は凄く強い。父も母もインテリではなく、本を読むのはほんの息継ぎ程度の事。そのくらいの時間であったのだが、ぼくは、真面目な顔をしている瞬間が好きだった。 (「暮らしの手帖」阿久 悠 著より) フラゴナールの「本を読む少女」の絵が大好きです。http://www5.ocn.ne.jp/~umibouzu/gallery/gallery_a01.htm こんな風に本を読みたいものです。 子供の頃と違って、今は本を読むのもコマ切れの時間。 阿久さんのご両親と同じで、毎日の暮らしの息継ぎ程度の時間です。 でも、何の制限も無く好きな事を好きなだけしていいよと言われていた時代より、日々の暮らしに追われて、それでもコマ切れの時間を見つけて読んだ本の方が、頭の中に残っているように思います。 もしかしたら集中する力が違うのかもしれません。 私が私の親に持つような気持ちを、いつの日かまぁちゃんも持ってくれる日が来るかしら? その時、「いっつも寝転がってテレビを見ていた!」なんて姿にならないように・・・・。 一挙手一投足が、子供という監督の目で見られている。 背中に一本柱を入れて、シャキッとしなくちゃね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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