|
テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:自分育て
昨日の新聞に、中学生の1割が欝という記事がありました。 イジメも相変わらずあとを絶たず、大人も子供も自殺者が増加。 ご年配の方からは、「今はとっても大変ね。こんな時代だったら、どうやって子育てしたら良いのか分からない」と言われます。 教師をしている知り合いからは、「自分が子供の頃の感覚と、今の子供は全く違うよ」と聞きます。 ふぅ・・・・・。 いつから未来を育てる事がこんなにも困難な事になってしまったんでしょう。 いや古今東西、子育て、己育ては、簡単なものではなかったはず。 では子育てや己育てが困難なのではなく、困難な時代に生きていると言う事が問題なのかも。 地球上の人口のうちで、ほんのわずかな先進国、しかも民主主義で自由を謳歌できる国に生まれたからこそ、未開の国の方々が伝染病や旱魃、水害などで苦しむように、文化・文明が発達して生まれた別の事案によって苦しめられているのかもしれません。 では、どうするか? こんな時代だから・・・・、で消極的に我が人生を生きていく事はしたくない。 かといって、全身棘だらけのいがぐりのように、トゲトゲして時代に、人に、立ち向かうこともしたくない。 積極的に人生を生きる。 さわやかに吹きわたる風のように、ぽかぽかと心身を暖めてくれる冬の日の陽だまりのように、優しい香りで癒してくれる花のように、天高く馬肥ゆる秋の高い青空のように・・・・。 顔を上げて、笑顔を絶やさず、前を向いて歩いていく・・・・。 打って出るような、積極的な人生を生き抜きたい。 何と言っても死の間際、「この人生も楽しかった。」と言って、人生の源に帰る事が目標なのですから。 目標とする女性は・・・・・、「凛」とした空気を持つ人。 「凛とした女の子におなりなさい」 阿久 悠 女の子だからといって ヨワヨワしていたり メソメソしていたり 何かというと他人を頼りにして 愛しいと思われてみたり そんな子である必要はないのですよ 助けてやりたいとか 庇ってやりたいとか 守ってやりたいとか 男にとってはいい気分だろうけど そんなもの 美徳でも 魅力でもありゃしない いいかい 女の子だって 強くってもいいんだよ 粗雑であったり 乱暴であったり 不行儀が平気では困るけど ちょっとした挨拶の誠意と 心地よい微笑の会釈と 問われたときにハイと答える 善意さえ感じさせれば 強くっていい 男は自分が弱い者だから 縋りつく子を抱き締めるが そんなのは三日だけの愛しさ あとは 只の重荷になる 傷つけないようにハッキリと言い 侮辱を感じさせない態度をしたら あとは自由に生きなさい 強く生きなさい 自由で強くてやさしい子を 凛としていると言います 凛とした女の子になりなさい 凛とした・・・・・ 近頃いないのです。 ぼくは元々強い女の子を書いていたから、大またで闊歩する子を悪く思わない。大またスタスタ結構だ。しかし、容貌やスタイルや態度と同様に、心が魅力的かというと、ただの不行儀な事が多い。 (『暮らしの手帖』より) もう女の子ではないけれど、こんな女性になりたいと思うのです。 そこにいるだけで清清しい空気が流れるような、別れた傍からまた会いたいと思う人。 一緒にいるだけで、笑い声と、楽しい気持ちに満たされる人。 智慧と知識が溢れる泉のようで、いつも何かしらの刺激を与えてくれる人。 冬の空気と、夏の日の光を同時に纏ったような、ピンと張り詰めた心地よさ。 春の大地と、秋の恵みの祝福を一身に受けたような、喜び溢れる温かさ。 秋のもみじの竜田川のように、さまざまな色を映しても、尚且つ澱みなく流れる清流のような清清しさ。 どれも手放す事無く、生きる喜びを全身に感じる人。 そんな人に、なりたく候。そんな人に、育てたく候。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|