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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:室礼
ただいま、実家と自宅にある膨大な数の書籍を整理しています。 本棚から本を出しては、○年前はこんなことに興味があったんだ!とか、何故この本を選んだのかしら?とか、中々楽しい作業です。(但し、時間の割にははかどりませんが・・・・。) その中で、確かに目にした瞬間は本が「こっちにおいで」と手招きしてくれたはずなのに、その後積ん読になってしまっていた本が数冊出てきました。 その本を読み返してみると、まさに今!という感じなのです。 「きっと未来の私への投資だったのね。」そう思うと、買った頃の、積ん読した頃の自分が愛しく、ヨシヨシして上げたくなってしまいます。 その中の何冊かが、室礼に関するものでした。 確か買った当時は和風の住い方にあこがれていて、インテリアの参考になれば位のつもりで手に入れていたはず。 斜め読みしてそのまま放っておいたこの本達を、改めて読み直すと「えっ?そうだったんだ!」の連続です。 本が持つ奥深さをやっと読みとれる歳になったのかも。 歳時記、二十四節気、旧暦などなどに急に目がいくようになり、暮らしのシフトを少しずつ『自然の力に寄り添うこと』に変えて来ている私にとって、山本三千子さんのhttp://www.shitsurai.com/006/index_main.html提唱なさっている室礼に、心惹かれています。 さて、では室礼とは何かと言うと・・・。 お風呂に入って真新しい晴れ着に身を包んだお正月の朝の事。いつもとはちょっと違うきりりと甲高い声で「鬼は外、福は内」と節分の豆を蒔いた、父の背中。 ご先祖様をお迎えするために軒下で焚いた、おがらの火。月明かりに照らされてほの白く光る十五夜のお団子。 こうした行事の一つ一つが日本人の暮らしの節目であり、人生の節目でした。私達は、そこに美しさや安らぎを感じ、そこで感謝や祈りを学んだのです。考えてみれば、なんと豊な時代を生きてきたことでしょう。 しかし、その後私達日本人は、今度は別の豊かさを求めて走り続けました。驚異的な経済成長を遂げ、欧米風のライフスタイルが定着すると、ハレの日(めでたい日)の小さな興奮や、家庭に中にあったあのひそやかな幸福は次第に忘れ去られていきました。日本人の家族共通の感性、”共通分母”を失ってしまいました。 年中行事の場であった家庭や隣人、村社会は次第に解体されて行きました。自然が失われ、核家族化が進み、地域の村は過疎の道を辿り始めました。それでも豊富なものに囲まれて私達は幸せだったはずなのです。 ところが、現代に生きる私達は、今立ち止まり戸惑っています。 本当の豊かさとは何?幸福とは何だったのだろう。 こんな時代だからこそ、もう一度年中行事に注目してみたいと考えます。 『日本民俗辞典』によりますと、年中行事とは「毎年同じ暦時に同じ様式の習慣的な営みが繰り返されるような伝承的行事」と開設されています。 毎年、毎年、ただ同じことを連綿と繰り返す、現代人には一見「つまらない、飽きてしまう」と思えるかもしれないこの行いですが、繰り返されて伝わってきているから、そこに一つの揺らぐ事のない精神の高さが存在していると思えるのです。 先人達は四季折々の自然と向き合い、自然の中に美を見出し、時に自然を畏怖し、決して驕る事無く、破壊することなく自然と共に生きてきました。年中行事は、そんな暮らしが生んだ一つの生活文化。 「室礼」は、その行事のおもてなしの心を形に表すものです。 現在「もてなし」という言葉は食に関係する時に多く使われますが、本来もてなしとはそれだけでなく、行事のための室礼や人々の振る舞いも含まれていました。先人達の幅広いもてなしの文化の記憶を思い起こしてみたいと思います。 「ああ、日本っていいなぁ。」 つぶやきでもいい。そんな思いを一人でも多くの方にお伝えできれば幸いです。 (「四季の行事のおもてなし」山本三千子著より) 貴女って何? そう聞かれた時、誇りを持って、胸を張って「日本人です。」と言える人になりたいと思います。 そのためには、日本に脈々と受け継がれてきた文化を、日々の営みの中で実践し受け継いで、「日本人の魂のDNA」をしっかり我がDNAにも刻み込んでいきたい。 私が求めていたライフスタイルが、ようやく顔を見せてくれたような気がします。 私は、日本人です。日本の良いところは・・・・。そうすらすらと口をついて出てくるように、今日も一歩です。
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