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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:室礼
前回の十五夜のお月見の日、豆腐白玉をまぁちゃんと一緒に作って、我が家用と実家用のお供えにして、昼間の内に実家に『まぁちゃん宅配便』(お手紙つき)で届けました。 その日の夜、家の窓からお月様が見えない我が家では、家族三人でお供えのお団子にきな粉をかけて、「お月様をみているつもり」でお相伴させていただき、一年の無事をお祈りしました。 そして実家では・・・・。両親共に庭に出てお月様を探したのでですが見えなかったので、道路に出てお月様の光の中でお団子を食べたそうです。 豆腐で練った白玉は時間が経っても固くならないので、ふわふわの美味しいお団子を、同じ日に同じ思いでそれぞれの場所でいただくことができ、楽しいエピソードも増えて、良いお月見となりました。 一年って、ついついお正月や新学期や誕生日など、年に数回しか意識することがないけれど、本当は365日毎年毎年同じ名前の日が来るんですから、一年の長さを毎日感じたいなぁと思う今日この頃です。 例えば昨日は、実家近くの神社で秋のお祭りがありました。 このお祭では風流舞というものが奉納され、その後その舞を舞った若い男性達が子供を泣かせにやってきます。 それぞれにお化粧を施して、ガラガラと音がする箱や奇異な声で走り回る姿に、子供達は遠くから見ただけで逃げ回る程の恐ろしさを覚えるようです。 子供達は、泣くことで次の一年の厄払いをするという行事なのですが、さて我が家の姫は・・・・。 0歳の時・・・・・、何か良く分からないまま連れていかれ、いつもと違う雰囲気に泣いていました。 1歳の時・・・・・、周りが泣いているのを見て、何も来ていないのに泣いていました。 2歳の時・・・・、あまりにも上手に泣くので、地元のテレビに写してもらえました。 さて、その三歳になった今年・・・・・。お祭りに行くというのでニコニコとはしゃいで神社の前まできたまぁちゃんは、記憶の端に何か引っかかるものがあったようで・・・・・。 神社のお参りもそこそこに、飾ってある厄払いの「おみこしくぐり」を顔を硬直させながら行ない、「早く帰らなくっちゃ!!!」を繰り返します。 そしてちょうどその時、近くで子供の泣く声が・・・・・。 あ!!!というまもなく、脱兎の如く走り出したまぁちゃんは一目散にかけていき、その後をダッシュでかけていく夫の姿・・・・。 毎年ほぼ同じ日に繰り返されるお祭りで、一年の成長や一年の歳月の流れを改めて感じます。 これからの毎日をしっかりと意識を持って過ごしたら、毎日毎日が嬉しい日の繰り返しになるのかもしれません。 年中行事や二十四節気等の、公の大きなハレの日。 私的なお祝いの、小さなハレの日。 その間にある淡々と流れるケの日。 大きなハレの日・・・・ケの日・・・・小さなハレの日・・・・ケの日・・・・ 手帖に現れる日々の暮らしの営みを目にするだけでも、『嬉しい』が感じられる。どんな一日も大切な日。 そんな毎日が来る事がとってもありがたい今日この頃です。 さて、明日の十三夜。 どんな演出で過ごしましょうか? 雅楽や琴の音の調べの音楽を用意して、厳粛さを感じる月夜も良いかしら? 「欠けた月にも”美”を見出す、繊細な感性」 お月見といえば十五夜ばかりが有名ですが、本来のお月見は十五夜と翌月の十三夜を観月することをいいました。 片方の月しか見ないことを”片見月”と呼び不吉な事が起きるして、忌み嫌ったのです。 十三夜にお供えするお団子は、十三個もしくは三個。重ね方は十五夜と同じように、一番下に九個、その上に四個で二段とします。三個の場合はご自由にどうぞ。 日本人の中には完璧でなくそれを少し外したもの、ほんの少し欠けたもんを美しいとする独特な感性があります。愛も深まった十三夜の月は、まさにそんな日本人の美意識にぴったり。 そういえば日本には、古くから月の満ち欠けに関する心情を込めた美しい言葉がありました。 中秋の名月の前夜の月は「小望月(こもちづき)」、十五夜を過ぎて少し遅くなった月の出を「十六夜」。十七夜になると、月のではもっと遅くなるけれど、それでも立って待っていれば出る月を「立待月(たちまちづき)」。もっと遅くなって今度は座って待つので「居待月(いまちづき)」。次はあんまり遅いので寝て待つ「臥待月(ふしまちづき)」など、なんと細やかな表現なのでしょうか。 日ごろ、ゆったりと時を捉えながら月の微妙な変化をも見逃さない。やはり、それだけ月と毎日の暮らしは密着していたのでしょう。 さて、十三夜は別名を「栗名月」または「豆名月」といいますが、これは「芋名月」と同じで、その頃収穫される作物の名前から付けられたものです。イガつきの栗や枝豆などを、この頃に色づくりんご(文林果)や梨(有りの実)と一緒に供えます。 もともと、お月見の時だけでなく、神事では「神楽」といって舞いや歌を奏でる習慣がありました。これはもちろん神様への奉納の儀式でもありますが、一方でこの世を去って神のおられる国の住人となった故人を私達が、美しい調べを共有するときでもあります。 月の光を浴びながら、そんな風にご先祖様へ思いを馳せ、命の繋がりを感じることができたなら・・・・。 (「四季の行事のおもてなし」山本三千子著より) この秋の日の一日に、これまでの一年の感謝の気持ちを乗せて・・・・。 お月様と、家族と、ご先祖様と過ごす夜。 守られているという感謝の気持ちは、絶対に失わない。 こじらせた風邪が、明日までには治りますように・・・・。
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