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作日は小雨の中、黄色いレインコートを着た娘とお出かけ。 気温も低いし、帰宅した後はちょっとぐったりだったのですが・・・・。 お散歩コースにある本屋さんで欲しかった本を手に入れて、良い気分で帰宅の途につきました。 「昔の暮らしに戻そう!」を今年のテーマにしている魔女魔女学校では、ちょうど良い教科書です。 大事に手塩にかけて暮らしを育てていく・・・・。それは、日々の積み重ね。 衣食住の全てが私を作る事を思えば、どれもゆめゆめ疎かにはできません。 そんな気持ちで歩いていると、またまた今の気持ちにぴったりな急須を見つける事ができました。 先日夫が急須を割ってしまってから、我が家ではお茶が飲めなくなってしまい困っていました。 でも『間に合わせの物は買わない』と決めた2008年、例え急須といえど妥協するわけにはいきません。 たかが急須されど急須。毎日目にする物だから、感性にあう物に出会うまでは手を出すまい・・・・、そう決めて一週間。ようやくお茶を復活できます。 黒焼き締めに柄と蓋が赤絵。 テーブルに置くだけで華やかな気持ちになります。 これを、ずーっと我が家の定番として育てていく。 10年後も、我が家のテーブルでいい色になってお茶を入れてくれるように、育てていく楽しみ。 ささやかな楽しみだけれど、私が大事にしたい事。 私基準の幸せです。 そして、今朝おこたに入っての読書タイムで目にした、目から鱗との一説。 ひろさちやさんの「あるがままに生きよ」(ほどほど人生でちょうどいい)から・・・。 「お願い事には二種類あります。 ひとつは、お賽銭の対価を求めるものです。「この通りお賽銭を上げたのですから、私の望みを叶えてください」というものです。 実際、こうして自分の希望が実現するとは考えていないでしょうが、やはり「ひょっとしたら」と言う気持ちは隠し切れません。 もう一つの祈りは、今日も元気でいられる事に感謝するものです。 私は、前者を「請求書の祈り」、後者を「領収書の祈り」と名づけています。 ~中略~ 仏様を拝むのは、「明日いい事がありますように」「お金が儲かりますように」とお願いするためではありません。「今日もしっかり生きて行きますから、どうぞ見守ってください」と戒めることです。 もうすでに亡くなりましたが、経団連の会長などを歴任した土光敏夫さんは、日蓮正宗の熱心な信者で、朝晩の読経を欠かさなかったといいます。 土光さんは生前、「朝は今日も精一杯生きようと誓い、夜はその日のうちに反省して、悔いを翌日に持ち越さないようにしている」と語ったそうです。 充実した毎日を送るために、読経を続けていたのです。 これが本当のお祈りです。「請求書の祈り」では、いつまでも満足は得られません。まず、「今日も生かしていただいている」ことに感謝しなければならないのです。 食を身体に優しい物に変え、衣を天然の素材を身につけるよう心がけ、住や暮らし方を旧暦に沿ったものに近づけて・・・・・。 そうやって少しずつ生き方を変えてくると、自分や人間の人智を越えた力を感じ、また信じずにはいられないようになりました。 縁や運を手にとるように感じられたり、それをアップさせる方法が目に見えるようになったりとすると、生まれて7歳までの神の子から人の子になって32年の間に目や心にかかった幾重にも重なった紗の布のような幕を、頭の中に育ってきた固定概念という大きな塊を、どうやってでももっともっとクリアに!もっともっと身軽に!を願わずにはいられません。 そして、一日一日変わって行く自分や家族、大事な人達が無事である事を感謝し祈らずにはいられない気になっていたのです。 しかし、特定の宗教に帰依しているわけではないので、どうお祈りしてよいのか分からない・・・・。 そう思いながら眠りについた昨夜。 一夜明けた今朝、その答えを指し示していただいた事に、また感謝です。 今日からは朝に夕に感謝の言葉を心に置いて、一日を過ごそうと思います。 言葉は言の葉。口から出て育っていく樹木の葉っぱ。 でも葉っぱというからには、それは自分自身に根っこがなければ、決して良い葉は育たない。 私の中に、言の根、言の樹を育てるために、いつも注ぎたい命のお水。領収書のお祈りを欠かさないように・・・・・、今日からはこれも日課です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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