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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:良質な生活
私の手元には、私の人生の教科書として、いつも目に付くところに置いている本が2冊あります。 一冊はこの本。 自分の暮らしの中に物語を紡ぐために、今の暮らし方を見直す教科書としていつも手に取れる場所に置いて、折に触れ開き読む本です。 この本のサブタイトル「掃除、洗濯、家事全般、人間関係に、健康管理・・・・。ひと手間かけた丁寧な暮らしは、日々に楽しみと物語を生み出します。」とい一言と、表紙に載っている佐藤初女さんのお写真に、亡き祖母の面影が重なって見えたから。 そして、もう一冊は祖父母の手紙と祖母の日記を元に伯父が作った遺稿集。 今日は、4年前99歳で鬼籍に入った祖母の命日。 口癖だった『その歳になったらわかる。その時になったら分かる。』。 この歳になって、ようやくその時の祖母の真意を少しは汲み取れるようになった気がします。 祖母の言うことに反抗する私に、『今は分からなくても、きっと今言うことが絶対分かる歳になる。今は心の片隅、頭の隅っこにでも置いておきなさい。決して荷物にならないから・・・・。貴女が必要になった時、これがきっと貴女を助ける。分かる時が来る。』 そういいながら、時に笑って、時に悲しそうな眼差しで、時に涙しながら言っていた口癖。 祖母が5番目の子である母を産んだのと同じ歳に娘を授かったことだけでも、祖母との強い絆を感じます。 そして今年私は、祖母が祖父を硫黄島で亡くした時と同じ歳になりました。 夫を失い、義理の両親と子供5人を抱えて、途方にくれつつも一家の大黒柱となって生きていく決意を、否が応でもさせられた歳。 その当時の祖母の日記は・・・・・。 ~亡き夫を偲びて~ 「日に増しつのる寂しさは、とめどもあえず。ただ一筋の綱も切れ果てて、よるべなき小舟の如く、この寂しさは何処まで続くのかあてもなし。 すこやかに寝息をたてて眠る吾子。または母上妹達顔を見てしあれば、力強くありたきものと願えども、砂山の築けども崩れる如くもろき我が心、なさけなく涙はとめどもなし。 出ます日覚悟のお言葉は承れども、何の便りも無き今日の日まで、精一杯の女の心で待っていしものに、唯ひとひらの紙切れに、君戦死を見し時の、心という心は大きな音にて破れ腑抜けの殻となり、抑えし涙関もあえず。 おお偉大なる私の夫。 労苦を労わり優しく導き給ひし夫。 吾子等には、特に特に厳しく優しき慈愛の父。 思えば我侭の振る舞いをしても、無言の内に教え給ひし数々。 諦めうべくも諦められず、昼は母上に仕え吾子等と共に元気良く過ごし、眠りにつけば次々と君の姿を偲ばれて一度にむせぶ。 眠れぬ夜半の日々、なつかしの君呼べども答えず。 あまりにも短き生涯、儚き命。 女心と笑わば笑へ。 私は生きてし限り君を思ひて涙を流す、これ唯一の楽しみなれば。 君の残せし足跡の偉大なる事よ。事業にはたまた人格的に。 吾子等にも常に偉大なる父の人柄を言い聞かせながら、皆その言の葉は己に言い聞かせ、心にて懐かしの君と語る心地なり。 女心の儚さと思はば思え、神仏よ。もし君が、由無き願いなれどもまだこの世におわすならば、私等の手許に、吾子等の許に還して。 鍬取る手を休めては思いは亡き夫へと、一条の光を頼りに気強く生きてありしに。 今よりは、君の姿を頼りに生き抜く覚悟はせしものを。 儚きもの。」 今年は、黄泉の旅路について4年。 大好きな祖父と共に、蓮の葉の上で仲睦まじく微笑んでいる事でしょう。 主婦として、母として、妻として、何一つとってもまだまだ貴女の足元にも及ばない私だけれど、『その歳、その時』を心に刻んでいつの日か近づけたらと願っています。 『麗しの女性』として、人生の目標の一つである貴女や貴女の娘である母。 そんな麗しの人になれるように・・・・。 2冊の本を傍らに置き、暮らしや生き方や人生観を少しずつ学んでいって、いつの日か『「その歳、その時」が来たみたいよ。』と笑って空に向かって言える日が来るように。 今日は、貴女のお命日。 形見の着物を洗い張りに出して、身に纏えるように仕立直しをするつもり。 着物が好きだった貴女のように、着物暮らしをしてみようと思っています。 こうして私を遺してくれた事、学ぶべき姿を見せていただいた事、心から感謝します。
一条の光を頼りに、気強く生きてありしに。今よりは、
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