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テーマ:暮らしを楽しむ(388255)
カテゴリ:火曜日:暮らし折々
先週の月曜日に、決めた事。 身の回りの物は必要最低限!に絞り込もう。 厳選して選んでいって、本当に必要なお気に入りを必要な分だけ持つ暮らし。 そういう暮らし方に、シフトしようと決めました。 基準はただ一つ。 『心に優しい響きを伝えてくれるもの。』 それは値段に関係なく、私というフィルターを通して集められる、『優しい音色の物たち』。 その中で選ばれた物の一つが、『手仕事のもの』。 お茶碗だったり、お碗だったり、お箸だったり・・・・。 一日一回は必ずお目にかかるものたちです。 人の手によって造られたぬくもりは、作家さんの元を離れた後もやっぱりそこに『気』として宿っていて、使う人の心に音色を響かせるような気がするのです。 優しい音色に包まれた器の数々を扱うときは、やっぱり身体が気を使うようで・・・・。 水屋箪笥から出したりしまったりするときも、手の動きは滑らかに丁寧に・・・・。 使うとき、洗うときも、指先までピンと神経が届いている感じ。 それは時に『神経を使う』と表現される物かもしれないけれど、何だかその気遣いさえもが心地よく感じるのです。 毎日使う物で、劇的に変化したのはお風呂の籠たち。 今までは扱いが楽だから・・・、という理由だけで使っていたプラスティックのかご達を、ひびが入ったのを機に籐のものに替えました。 もちろん水周り用の物だからニスを塗って仕上げてあるけれど、それでも晴れた日は外に陰干ししたり、空ぶきして埃を払ったりとメンテナンスに手がかかります。 でもこれらを使うときの、手に触れたときの、身体や心にしっくりなじむ感覚はやっぱり捨て難い。 洗濯物を干すという作業ですら、特別な物に思えるから不思議です。 もちろん『持つ』という扱いも、体の動きのみならず手の動きすら違っている気がします。 やっぱりこれも、誰かが編んだ手のぬくもり。 手仕事の数々に包まれていると、少しずつ自分からもトゲトゲした物が抜けていって、丸く優しくなる気がします。 この心地よさはやっぱり替え難い。 暮らしは、ただそこに身体があるのではなく、視覚で、触覚で、心で、感じるものなのかもしれません。 というわけでぽっかり空いた隙間時間には、布物、紙物などなどの制作をして、少しずつ手仕事の数々を増やしていくことにいたしましょう。 読書、手仕事、お勉強、おしゃべりタイムも楽しんで・・・、『何をしようか?』と悩む時間が無くなりそうです。
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