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テーマ:たわごと(26865)
カテゴリ:火曜日:禅語
先日来『朝の習慣』にしている本に、今私に必要な言葉を発見! それ以来必ずやっていることです。 『玄関の靴を揃える』 靴を揃えることができる人は、仕事も出来ます。その逆に靴を脱ぎ散らかして平気な人でいる人は、仕事をするとトラブルになることが少なくないのです。靴を揃えることは、確かにほんのちょっとした時間と、ほんのちょっとの労力を要するだけ。でもそのほんのちょっとの手間をかけることが、人間は苦手なのです。 一時が万事。小さなことを継続して実行できる人は、大きなことも成就するものです。大きなこと(夢)の実現を加速するいい方法があります。知りたいですよね。 それは、自分の靴だけでなく、その場にある人の靴も揃えてしまうことです。その時に、「私がやっておいてあげるから」とか「靴を揃えておいてあげたよ」などと、ひとことも言わないことが大事。黙々と実行するのがコツです。銀行にお金を積む事も大事ですが、宇宙に徳を積むことはもっと大事です。 これは、正確には陰徳といいます。「やってくれてありがとうね」と言われてしまったら、それでプラマイゼロ。せっかくの徳積みができなくなってしまいます。 だまされたと思って、自分以外の人の靴もそろえる習慣をつけてください。びっくりするほどのハピネス現象が次々と起こってワクワクしますよ。 (『幸運を呼びよせる朝の習慣』 佐藤伝著より) いいことをすると、ついつい口にしてしまいたくなる悪い癖・・・。 そうではなくて、『陰で徳を積む事』をしなくてはなりませぬ。 おかげさまで、暮らしにかかるお仕事は、陰のお仕事がたっくさん! 誰かのため!とか、こんなにしてるのに!の心は決して持たず、○○することでこんなにも徳が積めた~!と喜ばなくっちゃね。 しかも、相手が決して悟ることがないように・・・・。プラマイゼロにならないように。 できれば、残高増やしたいもの。 そういえば、禅語でも同じような言葉がありました。 『無功徳』 笑顔で挨拶したら、笑顔で返して欲しい。人助けをしたら、お礼の一言くらい欲しい・・・。私達は無意識にリターン(見返り)を期待しがちです。 功徳とは、良い行いに対する報い。でも功徳を得るために善行してもくどくはもたらされません。修行や礼拝も自分の利益のために行なうものではなく、打算や下心を捨て、無心で行なうことが第一です。それを喝破した達磨の言葉が「無功徳」です。 日々の行ないも同じです。自我を満足させるための行為を禅は切り捨てます。なんのみ還りも期待せず、当たり前のことをして、人にやさしく、思いやりをもって接する事です。ボランティアの心もそうではないでしょうか。 「私はこんな良い行いをしました。」と周囲にアピールしてなんになるでしょう。席を譲ったり人を助けたりしたとき、お礼の言葉も返ってこなくてもいいではないですか。よいと信じることを無心に行動に移せる人が本当の大人です。良い事をして自分の気持ちが安らぐのは、それが人本来のとるべき道であり、あるべき姿だから。 それで十分ではないでしょうか。 (『ふっと心がかるくなる 禅の言葉』永井 政之監修より) 誰のためでもない。 ただ、自分の気持ちが安らぐから良い行いをするだけ・・・・。 そういう想いで日々過ごすことができたら、私の周りの空気は優しい色に変わるはず。 誰かにアピールするのではなく、私自身にアピールする良い行い。 『無功徳』『無功徳』・・・・、嫌な心が芽生えてきたら、そう口にすることで退治する。 強力な武器を発見! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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