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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:火曜日:禅語
今日から7月。 新しい月を、新しい心で迎えたい。 そう願って昨日の晩床に着いたら、今日は朝から爽快な目覚めを与えられました。 願わくば「○」い心で過ごしたい・・・・。 そう思い今日の一日をスタートさせて、身も心も充実した喜びがあります。 下半期をこんな良い気分で始められるなんて、最先が良いと嬉しく思いつつ、火曜日のこの時間は禅語のお勉強。 いつものように、禅語の本を直観で開いた箇所にあった言葉が、『純水に帆を張り、逆風に梶を把る』です。 『佛教では、仏様を供養する時に必ずお灯明とお花をお供えします。それは、灯明が「仏の智慧」を、花が「仏の慈悲」を象徴しているからです。智慧とは、物事の真実や本質を見抜く力をいい、慈悲とは、相手を思う優しさをいいます。素晴らしい人生を生きるには、この智慧と慈悲を兼ね備えていくことであると教えているのです。 子育てにも、智慧と慈悲の両面が不可欠です。その智慧と慈悲の役割を分担するのが、両親なのです。もし片方しかいなければ、両方の役割を兼ね備える事が必要です。 父親は、歴史的に社会に出て仕事をしてきましたから、さまざまな環境変化や人との応待を通じて、広く物事を見る目が養われています。そこで物事の本質や真実を見る、「智慧」の役割を担うことになったのです。 一方の母親は、家庭にいて家族や子供の面倒を見、子供を保護して育ててきました。そこには自ずと相手を思いやる優しさが生じます。それで、慈悲の役割を担うというわけです。 しかし最近は共働きが増えましたし、父親が単身赴任だったり、仕事が多忙で家に居ないことが多かったりするようです。そのため、慈悲と智慧の役割分担が機能しなくなっている傾向にあります。ここに子育てが上手く行かない原因があるのです。 だからといって、両者が常に子育てに関わらなくてはいけないというわけではありません。子供の成長の過程にあわせて、智慧と慈悲と使い分けるのです。 例えば順調にすくすく成長しているときは、母親の慈悲を中心に、愛情いっぱいに育ててやればいいのです。 これが、「一人は純水に帆を張る」ということです。 そして転換期、たとえば反抗期、進路問題、そして交友関係、喧嘩、いじめ、犯罪など、このような逆風の時には智慧が必要になります。教え諭したり、時には制裁したり、共に考え話し合ったりすることになります。 これを、「一人は逆風に梶を把る」というのです。 これらのことは、問題が発生してから急に行なっても意味がありません。子供が物心付いた頃から、共に関わり、相互の信頼関係をしっかり作る事が大切なのです。 忙しさや面倒くささを理由に放任していると、後で必ず問題は起こります。 子供は何故、父親と母親から生まれるのでしょうか。 それは、子供には父親の「智慧」と、母親の「慈悲」が不可欠だからです。』 (禅に学ぶ人生90の智恵 公方 俊良氏著より) いずれ近いうちに、何らかの形で社会復帰をすることを目指し、準備を重ねていたここ数ヶ月。 久方ぶりのお勉強は、何をしても楽しいばかりで、ついつい新しいそちらに目が行きがちの日々でした。 しかし、自分自身の生きる世界を見つけて、どんなにそこで羽ばたこうとも、子供にとってはそれはそれ。母親、父親はそれぞれ一人。 それぞれが慈悲と智慧の力を備えつつ、上手に役割を分担できるように・・・・。 自分の世界に目を向けて、しっかり根を張り歩いていくためにも、『子供と家族』との関係や日々の接し方にも、これまで以上に気を配り上手に気づいていく心構えが大切。 私だけが幸せ!ではなく、私もあなたも、皆が幸せ!になるように・・・・。 家族部、智慧と慈悲係、慈悲担当として力を発揮できますように。
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