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テーマ:たわごと(26867)
カテゴリ:火曜日:禅語
幼稚園が始まって、10日。 何だかとっても慌しく、あっという間に過ぎた10日間でした。 子供にとって始めての事は親にとっても始めての事なんだと、当たり前のことに改めて感じた次第です。(今頃・・・。) 一つ一つ丁寧に新しく積み上げていく事、今までの暮らしの中で変えられない物譲れない物、それらを与えられた24時間の中でどう収めていくか?を模索した10日間です。 今日で四月の行事である家庭訪問も終了して、何となく自分のペースも掴めてきて、どうにか新生活の枠組みが構築できたかなと感じております。 10日間で作る事が出来たのは早いのか遅いのか?よりも、10日で作る事が出来た事自体を喜びたい!そう思っております。 きっと今までだったらこんなにスムーズには行かなかったから・・・、少しは私も成長したのかな? 途中、ただいま勉強中!のセラピストへの講座に参加できたり、アロマの講座に参加できたり、お掃除講座を申し込んだりと、自分の『道』を進む事も出来たなんて自分をヨシヨシししたい気分です。 何だか歯車がギギュッとまわり始めた感じ。 何かが変わり始めた気がします。 この10日間、ずーっと心に置いておいた言葉の一つが、『無事是貴人』。忙しさの余り自分自身を見失わないために、お念仏のように唱えていた言葉です。 手元に置いているこの本に教えていただきました。 『無事是貴人』「無事是貴人、ただ造作すること莫れ、ただ是平常なり」(臨済)からの意味は・・・・・。 『あなたの中にある純粋な魂と出会う』ということ。 私達は、救いや幸福を自分の外にばかり求めがちです。「いい人と巡りあえれば幸せになれるのに」「もっと自分を正当に評価してくれたら世に出られるのに」など、外にばかり目を向けてウロウロと幸福を探しまわっています。 臨済禅師は「求心やむ処、すなわち無事」として、外に求める心が無くなり、自分の内なる純粋な魂(仏性)と出会うことができれば、無事であり貴人であると言います。 この「無事」は、普段使う「無事でなにより」とか「平穏無事」とは異なり、救いや悟りの道を外に求めなくても良いことに気づいた安らぎの境地を指しています。「貴人」とは、安心を得た人、悟りを得た人、つまり仏です。 「ただ造作すること獏れ、ただ是れ平常なり」とは、外に向けてあれこれ騒ぎ立てず、自分が為すべき事を一つずつ造作なく(はからいなく)こなして行く事が平常の道だということ。 欲や執着を捨てて「求心やむ処」に無事があり、幸福が待っています。あなたの幸福の基となるものは、すでにあなたの中にあるのですから。 そう。 私がすることは、自らが為すべき事として決めた事を一つ一つこなしていくこと。 幸せになりたいという執着を手放した時に本当の幸せがやってくるんだと、今までにも様々な形で教えていただいた事。 淡々と・・・・。 そうやってこなすことをやっていたら、次から次へといろいろな『幸せ』が舞いこんできて、寂しいと泣く暇はどうやらないようです・・・・。 今年始めに何かが変わる・・・そんな予感だけはしていたけれど、思っても見なかった方向へ進んで行っているみたい。 淡々と楽しんで・・・・。 さぁ、明日はどんな事が起きるかしら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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