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テーマ:たわごと(26867)
カテゴリ:火曜日:禅語
何となく、自分自身が停滞しているのを感じる今日この頃。 そういえば、某テレビ番組で島田紳介氏が仰っていた一言が、何だかずっと心に引っかかっています。 「疲れて座りこみたくなっても、落ち込んで座りこみたくなっても、絶対にお尻とどかっと地面につけない。お尻をつけて座ってしまったら、もう立ち上がれなくなってしまう。腰を落とすだけだったら、また立ち上がれる。」 そうかぁ。 一休みの仕方にも、一考なんですね。 絶対にお尻をつけないで、腰を落として一休み。 確かにどかっと座ってしまったほうが楽だけど、もう立ち上がりたくなくなっちゃうのは問題ですものね。 腰を落として、次のjumpのためにエネルギーを蓄える充電期間。 「今の状態を大切に感じる」ことを心がけて過ごしているけれど、自分の感覚と感性が鋭くなってきているせいか、今まで気にも止めなかっただろういろいろな事柄にも、心が敏感に反応するようになっております。 アンテナの精度が良い事は、これから先の自分を想像してみても良いことには違いないし、そうなる事を願ってきたわけだから嬉しい事ではあるのだけれど・・・・。 この感度の『自分』に慣れなければ、疲れてしまうのも事実。 こんなときほど、立ち止まって足下を見る事が大事ですね。 いつもの禅語の本から、今日の一言は『一大事』。 『一大事 今日をどう生きるかが最も大事』 『生を明らめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり』(道元禅師)から。「一大事」とは、仏法における最も大切な事を指す。『修証義』(道元禅師の「正法眼蔵」の抄録)の冒頭に見られる言葉。 生とは?死とは?私達は何のために生まれ、どう生きるべきなのか?それを少しでも明らかにすることが、仏道を行く者のつとめであると、道元禅師は言っています。 これは禅者や仏門の者のみならず、人類全てが永遠に問い続ける命題でしょう。だからこそ「一大事」、最も重要なことであり、これをあきらかにするためにも、また、あきらかにできずとも生をより実のあるものにするためにも、人の一生に無駄にできる時間はないのです。 生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸 これは、禅寺で朝夕の時を告げるために打ち鳴らす木版という法具に墨書される語句です。時は人を待たず速やかに流れる、無駄を費やす事無く修行に務め一大事向きあえという戒めです。 白隠の師の正受老人は、「一大事と申すは今日ただ今の心なり、それを疎かにして翌日あることなし」と説いています。 高僧でも哲学者でもなくても、「今日ただいま」を懸命に生きる事はできます。それを忘れず生きていきましょう。』 (ふっと心がかるくなる禅の言葉 永井政之氏監修より) この只今を一生懸命生きてみる。 その積み重ねが今日一日。 ふらふらとしてスランプだと思っても、私をしっかり支えてくれる地面をまずしっかり感じて・・・・。 例え孤独を感じても、例え辛くなっても、どんな事があろうとも無条件で私を支えてくれる地球を、宇宙を感じて・・・。 もうひとふんばりです。
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