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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:自分を育てる
結婚して10年あまり・・・。 私の10年は、自分探しの10年でもありました。 独身時代はそれなりに人生を謳歌していたし、社会人としてもそれなりに評価されていた結婚までの年月。親にも大事に育ててもらって、大きく自分の羽を伸ばし羽ばたくことができた日々。 そんな毎日から一変しての結婚生活は、私自身のそれまでの「自己」をとことん否定され、「私」を見つめ直し、問い直すという渦の中に強制的に放り込まれた毎日でした。 地方出身の義両親は、それぞれが男尊女卑の強いところで育ちました。そんな親元で育った夫は、今の人には珍しいくらい強い男尊女卑の持ち主です。 もちろん結婚前にはそんな片鱗さえ感じないほど、私自身が盲目になっていたんでしょうが・・・・。 「お前に何ができる!」 「女は子供を生む道具」 「(私は2人姉妹なので)女しか産めない親は、行いが悪い人間だ」 「女はどうせ人にくれてやる物だから、片手間に育てられた物。そんな不出来な物を貰ってやったんだからありがたく思え!」 「自分は生きているだけで社会的価値がある。お前など虫けらと同じくらいの価値しかないんだ!」 などなど、夫や親族から連日のように「私」の「存在」を否定され続け、「女」という部分を貶され続けました。 ここで文字にして、自分でもよくここまで言われて一緒にいたなぁと感心しますが・・・。 ただ今にして思えば、この10年は今までの奢り高ぶった「私」を完全に駆逐し、新たな私を構築する10年でもありました。 こんな事がなかったら、人のやさしさなんて気づかなかっただろうし・・・・。 こんな事がなかったら、セラピストになりたいなんて願望も持たなかっただろうし・・・・。 こんな事がなかったら、「感謝」と「愛」についてなんて考えることなかっただろうし・・・・。 「今」の「私」はもちろんゴールではないけれど、ゴールまでの「今」という通過点にいる「私」という存在はそれなりに満足できるものになりつつあります。 一昔前に私が思い込んでいた『「自分」に対する評価』は、今の私にとっては何の価値もないもの。 もちろん過去があるから現在の自分があるわけですが、過去の自分が創造もできなかった自分になっている現在、ありとあらゆるものへの見方ががらりと転換したのを感じます。 20世紀は物質の世紀。物を作り求め消費する時代だったと言われています。 21世紀は精神の世紀。精神の充実を求め、自己の霊性を高めることが必要な時代だそうです。 そんな時代の転換期に、物質や経済至上主義の中で育ってきた自分とその価値観を悉く粉砕し、精神の充実と人としてのあり方や生き方を求めることに喜びを感じる「私」に上手にシフトチェンジできたことは、今思えばありがたいことです。 変化や挑戦が人一倍嫌いな夫との関係は、今も10年前とは変化しているように思えません。毎日顔を合わせていれば、まだまだやも多々あるけれど・・・・。 ここは「私は私」と割り切って、私の人生を謳歌し全うし、生まれてきた使命を果たすためにこの命を捧げる事にいたしましょう。 シフトチェンジ! 心を上手に操って、人生の道を賢く走って行きましょう! 「私の道」は、ぐんぐん前へと伸びている。 そして、もう私は停まらない、停まれない。
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