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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:自分を育てる
自分に種を蒔いていたんだ! 最近、そう思うことがよくあります。 昨日セラピスト仲間であるTさんとも、その話をしました。 彼女も私も、ここのところ本やCDの発掘発見が続いております。 いつ買ったんだっけ?と記憶も曖昧な位、ずっと以前に買っていた本やCDたち。 引き出しの中や、本棚の奥など、色々なところから出てくるそれらの本達は、全て「今」私達が理想とし学び、行動しているセラピストとしての日常や心構え考え方に、深く影響するような物達なのです。 買ったときには、ただ手に入れただけで満足してそのままにしていたそれらの物達が、理想に向けて歩き始めた私達の前に突如として姿を見せてくれるようになりました。(それまで、放っておいたということでもありますが・・・。) 買った当時、何も学びを深めていないときならば、きっと読んだり聴いたりしても深い感銘は受けなかったはず。ただ、ふーんという具合で終わったはずの物達。 それらが、「今」出逢うべくして、次々とタイムリーに姿を現してくれるのです。 言うなれば、ずーっと昔に蒔いてそのまま忘れ去っていた種たちが、ポツポツポツと芽吹きだしたような感じです。(整理整頓が行き届かなかった・・・、ということは抜きにしてね) 一つ一つの内容が、学び実践しだした今だからこそ、荒地に染み渡る水のように魂を潤してくれる。 そんな感動に日々出逢っております。 毎日手にする「鈴木秀子氏」の著作の数々も、今まで読んでいたのとは違う目線で捉えらるようになった気がします。 その中で、昨晩の学びの時に目にした章は・・・・。 「春の使いになって」 金子みすず ひばり 聞き聞き つんでたら、 にぎりきれなくなりました。 もって帰ればしおれます、 しおれりゃ、だれかがすてましょう。 きのうのように、ごみ箱へ。 わたしはかえるみちみちで、 花のないとこみつけては、 はらり、はらりと、まきました。 春のつかいのするように。
私達は日常生活の中で、いいものがあるとつい自分のものにしたくなります。しれが満足感に繋がっていきます。でも欲を出すと花が手に握れないほどいっぱいになって、萎れて役に立たなくなります。ゴミ箱に捨てなければなりません。 人間の幸せというのは、八分ぐらい満たされて、もうちょっとあればいいな、もうちょっとお金があったらいいな、もうちょっとうちの子がこうなればいいな、というくらいが一番幸せだといわれます。 私達はひばりを聞きながら、幸せの花を摘みます。摘んできてそれに執着しない。いいなぁと思ったら、道々にそれを蒔いて行きます。でも花が咲くのはいつか分かりません。 あなたが花をそこに捨てたお陰で、種になって花が咲きましたよとお礼を言ってくれる人はいません。春の使いがすることは誰も知らないけれど、必要なところに種を落としていくのです。そして時期がくれば、芽が出て花が咲く。あなたには直接、返ってこないかもしれません。でもそこを通る人は心穏やかになります。 大宇宙は循環していますから、私達の人間関係もみんな循環していきます。今ではないかもしれません。子供の代かもしれません。しかし、自分が落としたものは必ず循環して、どこかで実になって、また戻ってきます。 私達は春の使いになって、すぐに実りを求めず、ちょっとエネルギーがあるときには、人に優しい言葉をかけたり、どの人の中にも良き事を見出すような目を育てることです。ゆとりがあるときにはそれができるのです。 (奇蹟は自分で起こす 鈴木秀子氏著より) 今、私の周りで芽を出している小さな知恵の葉たちは、私がずっと以前に未来の自分のために蒔いていた小さな種たち。 今度は、その実りを自分の血とし肉として、春の使いになる事にいたしましょう。 笑顔だったり、言葉だったり、しぐさだったり、はたまたセラピストとしての仕事だったり・・・家庭人としての諸々だったり、そんな私が出来る小さな種まきを、心を込めてやりましょう。 たくさんの方々の心に、小さな種を蒔くことができますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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