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テーマ:ささやかな幸せ(6740)
カテゴリ:自分を育てる
今朝は台風も過ぎ去り、青空の爽快さのもと幼稚園へと向かいました。 気圧の関係なのか、湿度の関係なのか、はたまた気のせいか、台風や雨、寒い時は怪我の古傷で全身が痛みます。 以前だったらきっとそれだけでナーバスになっていたところ・・・。 でも、意外とすんなり乗り越えられて、よしよし私も成長したなぁと思いながらの通園の道。 大好きな師の一人からメールを頂きました。 朝だし、何かしら? そう思って、歩きながらメールを開くと、「咲き出しました」のタイトルが。 お花が大好きなわが師は、お庭にたくさんのお花を育てていらっしゃり、折に触れ贈り物を下さいます。 今回のお花のお写真は、「彼岸花」と「しゅうめい菊」。 コメントに、「楚々として可愛らしい誰かさんみたいです」の文字が。 誰かに見つけてもらえなくてもいいよ。 誰かに品評してもらえなくてもいいよ。 例え道端に打ち捨てられていようとも、誰も名前を知らない雑草だとしても、小さな花は私だけの花。 この地球上に2つと同じものが無い、『佑啓』という名の花。 薔薇じゃなくても、蘭じゃなくてもいい。 お花屋さんを美しく飾る花じゃなくてもいい。 私が道端に花開くことを楽しむことができれば、それだけで十分です。 でも、「私がそこにあることを愛しく思う」ためには、まだまだ日々努力が必要。 そう思って歩いてきた毎日。 人知れず(だと思っていた)生えていた草花の成長を傍らからそっと見守り、花が開くのを楽しみして、花が咲いたと喜んでくださる方がいらっしゃる・・・・。 今朝は、頂いたメールに自分を重ねて、朝から上機嫌の私でした。 「しゅうめい菊」のような・・・・。 世の中様々な贈り物があるし、送る方法もたくさんだけど。 「見守っているよ」そんな、メッセージがこもった優しい贈り物は、ダイレクトに魂に響きます。 これでいいのかな? この道で間違ってないかしら? 人間だから、折に触れ通る「選択の道」。 どの道に進もうと、どのように歩もうと、それはすべて自分が選び、種を蒔き、自らが刈り取らなくてはならない道だけど。 時に現れる迷いのトンネル。 「花が咲いたよ」の贈り物は、そのトンネルの出口に射す一筋の光明に見えました。 私もいつかこんな素敵な贈り物を、さりげなく差し上げることが出来る人になれますように。 そのためにも、まだ歩ける、まだ進める。 そう思えた今朝のひと時。 楚々とした花たちに力を頂いて、可憐に進めますように。 素敵な贈り物、ありがとうございました。
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