カテゴリ:純な心、直感、初一念
森田先生のお話です。
昭和6年に、余が喘息で、今にも死ぬかと、あえぎ苦しんだ時、久亥と(森田旅館の女中取締りをしてくれている)坂井サンとが、余の両側に付添って居て、余が「アア苦しい。もう助からん」とか、・・・セッパ詰まった苦悩の時に、坂井サンは、余の手を握って、「マアどうしよう、どうしよう」といって泣き出したのである。ちょっと外面的に考えると、気の弱い病人は、他からその心を引立て・力ヅケてやらなければならないように思われる。 しかしそれは単なる技巧であって、真情ではない。 素朴な真情ほど、世に有難いものはない。 余はこの時、非常な安楽と・心強さとを覚えた。 誇張していえば、余はこの坂井の気合術によって、ホッと助かったといいたいほどである。 病人に対して、いたずらに虚偽のカケヒキをするよりも、共に憂い・共に悲しむということの真情に及ぶものはない。 (森田全集 第7巻 久亥の思い出 759ページ) 瀕死の森田先生を目の前にして、普通はどんな対応をするでしょうか。 「先生しっかりしてください。弱気になってはダメですよ」 「絶対に助かりますよ。頑張ってください。私がついていますからね」 「きっと多くの入院生も回復するのを待っていますよ」 「今お医者さんを呼びましたからね。安心してくださいね」 これに対して坂井さんは「純な心」で対応されていますね。 先生を何とか助けたいという気持ちよりも、先生と同じ気持ちになって右往左往しておられます。 医者でもない坂井さんができることは、先生の側にいて、おろおろして泣き出すことだけです。 余計なことをすると、先生の症状はますます悪くなっていく。 どうすることもできないパニックに陥った時、「もっとがんばれ、決してあきらめるな」と言われても、「もうそんな力はない。無茶を言わないで。 そっとしておいてほしい」というのが本音かもしれません。 対応策が見つからなくて、相手の側にいて、相手と一緒になっておろおろしているのが相手にとっては一番心がやすらぐのだと思います。 解決策が見つからないときは、おろおろして態度を保留にするしかありません。 その方がよい結果をもたらすというお手本のような話です。 これは集談会で初参加がいる場合、是非とも応用したいことです。 苦しい症状に対して拙速に森田的なアドバイスしないようにする。 「よくいらっしゃいましたね、今まで苦しかったでしょうね。もう少しだけ詳しく教えてくださいね」 どうしたらよいものかと、態度を保留にすることは意識すれば誰でもできます。 田舎のとんど祭り お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.06.04 09:26:53
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