小学生の「月刊教材」の中にこんなことが書いてある。
鉢仕立ての朝顔の絵がカラーで描かれており、細い支柱が中心に立っていて、そこに朝顔の蔓が時計回りに巻き付いている。
この絵の中に間違いがあるので、本物と比べて答えなさいというものだ。
そういいながら、次のページに答えが載っている。
それによると正解は、次の3つであるという。
1、 蔓の巻きかたが反対
2、 花は下から咲いてくるので花の下に蕾があることはない
3、 一株の朝顔に違う色の花は咲かない。
藤田英夫さんが実際に調べてみた。
確かに蔓の巻き方はその通りだった。
花の色については、淡いピンクとほとんど白といえる花が咲いていた。
花の咲く順序も違っていた。咲いている花の根元よりに蕾があった。
数日するとそのつぼみが見事に咲いた。
教材に書いてあるということと事実が違うということはどういう意味があるのだろうか。
藤田さんは、これが問題として出題された場合、自分の目で見た観察は間違いと判定されてしまうことが問題だといわれる。
敷衍して言うと、観察などはしなくてもよい。正解を次のページにのせているので、それを覚えればよいのだということになる。
自分の目で見て、手に触れて実感したもの、それこそは、その子にとって忘れることのできないもの、かけがいのないものである。
自分が確かだと掴んだそのような事実が否定されてしまうことは、やがては自分自身への否定につながっていくことになりはしないか。
この朝顔の話は、このことに真っ向から反対の立場をとっています。
この場合には答えを載せずに、生徒たちに自分たちが観察した結果をそれぞれ発表してもらう。
蔓の巻き方はどちら向きでしたか。花は単色でしたか。蕾は上の方だけにありましたか。
などと聞いてゆけばいろんな観察結果が出てくるのではないでしょうか。
(人間力をフリーズさせているものの正体 藤田英夫 シンポジオン参照)
1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分に関東大地震が発生した。
震源は相模湾でマグニチュードは7.9、その後7.3の地震がたて続けに発生している。
森田先生はその時の様子を実際に自らの目で詳細に記述されている。
(森田全集第7巻の309ページから342ページ)
根も葉もない流言飛語が発生して社会が混乱した。
その内容は、外国人が大挙して襲来し、一部のものと共謀し、爆弾を仕掛け、火をつける。
井戸に毒薬を投げ込み、略奪、殺人など、あらゆる悪事を働いているというものだった。
横浜あたりから発生し、1日か2日で東京、神奈川、埼玉、千葉、群馬などに拡がった。
流言飛語は、同じ境遇にある群衆が、ある事変に当面して感情が興奮し、精神不安になっている時には、何かちょっとしたことがあってもそれをひどく感じ、あるいは、まったく根も葉もないことまで感情的にそれを受け入れて、実際にあるかのように感じるものである。
流言飛語は群集の気分と意向に合致したものだけが広まる。
このような混乱に巻き込まれたときは、森田先生のように現地に赴き自分の目で事実を正しく観察することで間違った行動を防ぐことができる。