カテゴリ:人間関係、不即不離
2日前からの続きです。
フランクルの危機を脱出した人の特徴の3番目は次のようなものです。 強制収容所では、自分も飢餓状態なのに、仲間に自分のパンを与え、絶えず温かい言葉をかけ続けた人がいたというのです。 自己中心的な言動をとる人よりも、相手のことを思いやる気持ちを持っていた人のほうが生還には有利に働いていた。 そして悲しいことですが、極限状態の人間は天使と悪魔に分かれてしまったと指摘している。 さて、生きとし生けるものは、自分の生命を長生きさせることと子孫を残すことが最大のミッションであると言われています。 その目的追及のためには、すべての生き物は自己中心的にならざるを得ません。 相手の気持ちを忖度し過ぎると、すぐに足元をすくわれて、自らの生存を危うくする。しかし自己中心性が強くなり過ぎると、対立や紛争を生み出し、逆に生き延びることは極めて危うくなるというのも事実です。 そのジレンマの狭間で苦悩しているのが人間の姿です。 この問題を考える上でアドラーの共同体意識と孤独感の話が参考になります。 アドラーはある集団の一員であるという感覚は、孤独感を癒し、心の安定をもたらすという。 集談会に参加する人の中には、ほとんど発言しない人がいます。 他の参加者の話を黙って聞いていることが多い人です。 その方に聞いてみると、参加するだけで、その後1週間くらい精神が安定するということでした。 学習仲間の輪に加わっているだけで孤独から逃れることができるのだと思われます。健康的な心の状態は、孤立することを避けて、絶えず社会との接点を模索することの中で成り立っているのかもしれません。 岡田尊司氏によると、愛着障害を克服するためには、一つには、家族以外の人のなかから「心の安全基地」となりうる人を見つけることが大切になると言われています。自分を温かく迎え入れてくれ信頼できる人を見つけることです。 集談会に参加している人は「心の安全基地」を確保している人が多いように思います。 ここで岡田氏はもうひとつ重要なことを指摘している。 自分のほうからも問題を抱えている人、あるいはペットでも観葉植物でも草花でも何でもいいのですが、「心の安全基地」となるべく努力をすることだと言われています。つまり、相手の悩みを聞いてあげたり、積極的に世話活動に取り組むということです。 この2つに取り組むことで精神的な安定が保たれると指摘している。 さて、「人の為に尽くす」というのは本音ではなく建て前であることが多い。 建前でいくら叱咤激励しても途中で息切れしてしまいます。 この関係を見直すことができれば、精神的な安定感をもたらすことが可能となります。これは「相手の為に尽くす」という行動を自分が取り組むべき課題にしてしまうということです。 これは料理を提供する場合で考えてみるとよく分かります。 値段に見合った料理を提供するというのは当たり前のことです。 お客様の期待値以下の料理を出すと、低評価となりリピート客はやって来なくなります。 お客様が想像していた通りの味、彩り、盛り付け、価格だと不平不満は起きないはずです。お客様はある程度は納得します。 但しリピート客になるかどうかは不明です。 次の段階として、行列ができる店、予約が取れない店があります。 辺鄙なところでもネットで探してわざわざお客さんがやってきてくれる。 こういうお店はとにかく味が群を抜いている。ここでしか食べられない。 コストパフォーマンスが圧倒的である。ついお持ち帰りもしたくなる。 つい知らない人に教えてあげたくなるようなお店です。 こういうお店は、お客様に期待値以上の大きな驚きや感動を与えている。 料理を提供する人は、お客様の喜ぶ姿を見るのが三度の飯よりもうれしい。 来てくれたお客様をうれし涙を出すほど感動させたいと思っている。 そういう目標を持って日々料理作りに向き合っている。 その目的を達成するためには、どんな努力もいとわない。 この段階になると、本音と建前が一致することになります。 本音で生きている人は、積極的、生産的、建設的、創造的な生き方ができるようになり、精神状態は安定してきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.06 06:39:58
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