森田先生は神経症の治し方が3つあると言われている。
一つは不快な感情や嫌な気分に振り回されないようにすることです。
必要なときに必要なことを必要なだけこなしていく。
ひと言でいえば「あるがまま」の生活を続けていくことです。
不安の裏には欲望が隠れているので、「生の欲望の発揮」を心がけることだと言われています。
これが治し方の一つ目です。規則正しい生活、凡事徹底を心がけると比較的早期に身に着けることができます。
次に観念中心の理想主義、完全主義、完璧主義、コントロール至上主義に陥らないようにする。
神経症で苦しんでいる人は、観念優先で「かくあるべし」を自分や他人に押しつけています。
これが神経症発生の大きな原因となっています。
観念優先の態度を事実優先の態度に転換するが大事になります。
そのためには事実をつかむ努力をする必要があります。
先入観、決めつけ、思い込み、早合点でものごとを判断しないように心がける。
自己主張する前に相手の話をよく聞く。
感謝の気持ちを持つ。世話活動を心がける。
あなたメッセージから私メッセージに切り替える。
両面観のものの見方を身に着ける。
否定語は肯定語に置き換えるようにする。
純な心をとり入れる。
3つ目は、不都合な出来事に対して是非善悪の価値批判をしないことです。
人間は事実に対して価値判定をする生き物です。
これが他人と対立して生きづらさを招いています。
事実を事実のままに認めて受け入れることが大事です。
不都合な感情を否定することなく、素直に受け入れる。
もし価値判定をしてしまったら、普遍的で客観的な見方で再考してみる。
その具体的内容については、生き生きワークショップでの話が分かりやすい。
ある方が朝起きてからよかったこととして、「今朝ゴミ出しをしたときに人に会わなかったからよかった」だと言われたそうです。
化粧をしていなかったので「人に会いたくない」と思われていたのでしょう。
森田を学習した人は、「人に会うのはイヤだという感情はそのままにして、ゴミを出すという目的を果たしたのでよかった」と言いがちです。
これは感情に対して是非善悪の価値判断をしているということです。
事実を良くない、見たくないと判定すると、きちんと向き合うことを避けるようになります。
事実を忌まわしい異物として扱うようになります。
エネルギーのある人はなかったことにしようとする。
事実からますます遠ざかっていく。
どんなに嫌悪感を催す感情でも、良い悪い、善悪、正しい間違いと価値判断しないで、素直に向き合うことが肝心です。
沸き起こってきた感情に対してなにも付け加えない。
素材のまま味わうことが森田の目指すところです。
「あなたはそう思っているのだね。そういう気持ちなのね」と認めることができるようになると、第三段階に到達したということになります。
挿し木したあじさいが1か月経って根がいっぱい出てきましたので鉢上げしました。
この写真は鹿沼土に挿し木したときのものです。