カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
中国に木鶏(もっけい)という故事があります。
昔、ある国に闘鶏が好きな君主がいた。 君主は強い闘鶏を育てることで有名な紀渻子(きせいし)という人に訓練を依頼した。10日ぐらい経ったとき、せっかちな君主は、「もう強くなったか」と聞いてきた。 紀渻子は、「この闘鶏は相手を見るとオドオドしている」と伝えた。 しばらくしてまた君主が様子を尋ねると、「まだまだです。相手を見ると羽根を逆立てて威嚇している」と答えた。 3回目に行くと、「まだだめ。この闘鶏は相手を見下している。敵を見くびるところある」と答えた。 4回目にようやく「もう大丈夫。木で作った鶏のようにどんな相手を見ても微動だにしません。どんな試合に出しても大丈夫でしょう」と太鼓判を押した。 この話は人間に当てはめて考えるとどういうことになるでしょうか。 相手を見るとオドオドする・・・他人が自分をどう評価しているのかが気になる。 自分がどうであれ、他人から非難、否定されることにがまんできない。 他人の顔色ばかりを気にしていて気が休まることがない。 これは心の中に相手に負けたくない。 どんな相手にも勝ちたいという気持ちが強すぎるのではないか。 無視される。軽視される。からかわれる。叱責される。非難される。否定される。などというようなことは、相手に負けたような気持になり惨めになる。 いつか意地悪をして鬱憤を晴らしたいという気持ちでいっぱいになる。 相手を威嚇する・・・森田でいえば「かくあるべし」を相手に押し付ける人である。相手には相手の都合があるのですが、そんなことはお構いなしに自分の気持ちや考えを一方的に相手に押し付けてしまう人である。 これでは人間関係はうまくいきません。 相手を見下す・・・上から下目線で相手を見てしまう。 人間関係は縦の関係になる。支配する人と支配される人に分かれてしまう。 相手を協力し合う仲間として見ることができなくなってしまう。 横の人間関係については眼中にはない。 孤立することが多い対人恐怖症の人が他人を支配しようとすれば、周りは敵ばかりとなり、社会から排除されるようになります。 目の前の変化に右往左往しなくなる・・・不快な感情や気分に振り回されなくなる。不快な感情と行動をきちんと切り分けられるようになる。 不安を抱えながらも生の欲望に添った行動ができるようになる。 不快な気分と行動をきちんと切り分けられるようになる。 気分は主観的な感情であるが、一方的に気分に流されなくなり、社会人としての自分に課せられた使命や責任を果たそうとするようになる。 不快な感情や気分を「あるがまま」に受け入れて、目的本位に生きていくようになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.24 06:29:39
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