『フランス語っぽい日々』1
図書館で『フランス語っぽい日々』という本を、手にしたのです。どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪【フランス語っぽい日々】じゃんぽ~る西×カリン西村著、白水社、2020年刊<「BOOK」データベース>より外国語を愛する、外国語に苦しむすべての人に。日仏夫婦が漫画とコラムでつづる、異文化・外国語学習・子育ての悲喜こもごも!<読む前の大使寸評>どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪rakutenフランス語っぽい日々カリンが「言葉とは思考の方法」と述べているので、見てみましょう。p104~105<47 言語を替える、考え方が変わる Parler une autre langue, c‛est repenser> 外国語を学ぶ、それは単に母語の単語や文を別の言語で仕立て直すだけのkとではなくて、コンピュータのOSをすぱっと変えてしまうようなもの。わたしは日本で毎日そう実感しています。言葉とはつまり思考の方法。 いえ、もちろん、翻訳でも言いたいことはそこそこ伝わりますが、それで外国の社会に溶け込むことにはなりません。フランス人にとっては日本の場合が特にそう。なぜなら日本語を深く勉強すればするほど、わかってくるのです。解釈の余地の大きい曖昧な表現や遠回しの言い方が、この言語ではどれほど好まれていることか。 非常に直截な表現もたしかに存在します。だけど公の場やテレビ、政治家の演説では、こみいった文の言い回しや「~ではないかと思います」といった否定疑問表現のほうが重宝されます。 フランス語では、俗に言う「鍋のまわりをうろうろtourner autour du pot(遠回しの言い方を)」することは少なく、「言葉をもごもごmacher ses mots(歯に衣を着せ)」もしません。フランス人の意識では、それは失礼ではなく、率直であり、大人だということです。日本では逆に、習得した社会慣習のフィルターを通さず、考えをダイレクトに表現するのは、子供にしか許さない、幼稚なふるまいとみなされます。 そんなわけで、フランス人女性が日本に来て、母語同様にズバズバ日本語でものを言うと、どこか子どもじみた印象をあたえます。いっぽう、パリに来た日本人が、自分の本心をフランス語ではっきりと言い表さなかったら、人間が未熟だと思われます。